「長良川を救う"ミズガキ"宣言」
2004年9月18日・「長良川DAY」にて



時代背景
・ 1988年2月に、長良川河口堰の着工が決定した時、私たちは亡き開高健を会長として、「長良川河口堰建設に反対する会」を立ちあげました。
・ 国会にこの問題を持ちこみ、国会を二分する、日本最大の環境運動を作りました。
・ 1995年5月に建設大臣の運用発言があり、23日間のハンガーストライキで抵抗しましたが、7月6日よりゲートが降ろされました。
・ 「被害は軽微、問題があればゲートを上げる」と約束されましたが、流域の漁師たちの「被害」の訴えは無視され続けてきました。
・ 2005年3月31日には、三重県側の工業用水の水利権が切れます。「被害」と「負担」をおそれていた三重県が、水利権の設定を、異例に短い10年としていたからです。
・ 2003年11月の衆議院選挙で、「諌早水門の開門」「吉野川第十堰改築の中止」「川辺川ダムの中止」をマニュフェストとしていた民主党は、長良川河口堰については2001年7月に、「長良川河口堰のゲート開放」を党の方針(マニュフェスト)にしています。このたび、民主党の国土交通ネクストキャビネット大臣に就任した菅直人議員らは他党へも呼びかけて、来年3月の水利権切れへむけて、国民および国へ長良川河口堰ゲートの開門を働きかけてくれることになっています。
・ 私たち、長良川を愛し、その復活を求める市民は、次の"ミズガキ宣言"に結集し、長良川河口堰のゲートを上げ、一日も早く長良川の命を救うために、小異を持つ方々にも、大同団結して下さり、長良川救済に協力して下さることを求めます。


"ミズガキ宣言"

 私たちの国ニッポンは、四つの海に囲まれ、その海からたちのぼる水蒸気が山々にあたり、
森を育み、川となって、またそれが海へそそぐという、美しい「緑の列島」でした。
江戸時代には海外の人々からも、「世界で最も美しい心と自然を持つ国」と称賛されていました。

 その国が、明治期には川を中央集権にしてしまい、
集落ごと、流域ごと、藩ごとに持っていた「洪水を水害にしない知恵」や、
「ミズガキ(水に遊ぶガキ)が小さな頃から川に愛される知恵をつけてゆく文化」や
「森から川、川から海へとつらなり生きているから美しい川という生命体」をしだいに失ってゆきました。

第二次世界大戦後は、ダム開発を経済の牽引車にしたアメリカに学び、巨大ダムを続々と造り、
いま日本列島には、16m以上のダムだけでも2700基以上あり、まだ計画は400もあるといわれています。

しかし私たち日本人は近年、アメリカやヨーロッパが近代河川工法を反省し、
川に蛇行をとりもどし、ダムを撤去し始めていることを学びました。
カナダでは、サーモンが森に海の成分を運んでいることが知られ、「川の再生」が政府の課題となっています。

 そして日本でもようやく、まだ不充分ながらも「自然再生推進法」が成立しました。
 今こそ私たち日本人の一人ひとりは、川が大好きな一匹の"ミズガキ"にもどり、
「長き良き川」長良川の生命を復活させるために行動することを誓いあいましよう。


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