いま「協同」を拓く2004全国集会inながの 移動第2分科会
長野県「脱ダム宣言」の行方を探る
"脱ダム"から"ダム撤去"の時代へ
天 野 礼 子(アウトドアライター 脱ダムネットワークジャパン 代表)
今夏の水害が教えること
たくさんの台風が日本列島を直撃し、人命が奪われた今夏の水害は、2002年8月17日に発生し、ドイツでは100人、ロシア黒海沿岸では55人の死者を出し、オーストリアやチェコ共和国では数十万人の被災者を出したヨーロッパの大水害と類似しており、気候変動による異常気象が、共通する大雨の原因と思われる。
私たち人類の生産活動が、地球温暖化という気候変動に拍車をかけているのは既に明らかであるが、今夏のように、これまで想定していなかった雨量が、ある時間帯に集中して降るということが度重なると、わが国では河川を管理している国土交通省河川局や各自治体土木部が「だからやっぱりダムは必要」と、声を高くして"脱ダム"論を否定する。
現に長野県を始めとするいくつかのダム現地で、「河道内遊水地」などという、実態は50数メートルにもなる「ダム」案が、「ダムに替わる案」として、自治体土木部の口から提案されている。(私はそれを、「後ろにいるのは国交省」とにらんでいる。)
かつて、国交省の前身である建設省は、第2次大戦後の昭和30年代から40年代にかけて頻発した伊勢湾台風などの水害を理由にして、ダム建設を進めた。その時期は、高度経済成長の入り口でもあり、まだ水質基準が設定されていなかったために水質汚濁が急激に進み、日本中の川漁師が引退を余儀なくされていた時期。この時、彼らは建設省の「治水論」に説得されて、川をダムに売り渡してしまった。
しかし、今からふりかえってみると、その時期は、戦後の復興のために日本中で山が丸裸にされ、スギ・ヒノキの大造林が国策となっていたためにも、列島の保水力がかつてなく下がっていた時期であった。当時の日本人は、そのことに気付かずに、列島中にダムを造らせてしまったのであった。
私たち日本人が、今夏の水害のあと、かつてのこの"愚"をくりかえさないためには、ドイツ政府やEUの「洪水委員会」が、2002年の大水害のあとに発表した結論に学ぶ必要がある。
くわしくは集会当日にお話をするが、ドイツの関係5省庁(交通省・環境省・農業省・内務省・財務省)による河川会議は、このような発表をまず行なった。
「川に沿ってあまりにも多くの構造物が造られていたので、水害を起こさずに洪水を受け入れる余地が無くなってしまっていた。これまで造られてきた洪水を防ぐというすべての構造物(ダムや堤防など)が、そこから下流における洪水の危険性を高めてきた。人が住んでいない地域に洪水を受け入れるための"遊水地"を川に取り戻すために、国家は努力しなければならない」(2002年9月15日)。
1983年には、アメリカのミシシッピ川・ミズーリ川でも、この2002年ヨーロッパと同様の洪水が起こり、大水害となって数ヶ月間も水がひかなかった、ということがあった。
その時、アメリカの治水を担当する陸軍工兵隊は、「私達や、過去には地方自治体が"治水によかれ"と思って、川をまっすぐにし、じょうぶな堤防を造ってきたことが、今夏のような大水害を起こしてしまった。
じょうぶな堤防を造ったために、人々はそれまでは住まなかった洪水常襲地である"川の氾濫原"に住んでしまい、今夏のように私たち河川管理者の想定を越える洪水が来た時に、大きな被害に遭ってしまった。
また、川は、まっすぐにすればするほど、速く、強く、洪水を、川の一番弱いところ、すなわち下流部や河口部に集中させてしまう。こんなことに気付かずに川の側に国民を住まわせてしまったことについて、陸軍工兵隊はあやまちを認め、あやまる。しかし合衆国は今、財政難で補償ができない。
これからは、洪水氾濫原に住まないでほしい。住みたい人は、自分で洪水保険に入ったり、大切なものは一階におかないでほしい。そして、いつでも逃れるようにしておいてくれ」と、国民にあやまったのだ。
わが国の河川管理者が今夏の水害から学ばなければならないのは、この欧米の官僚たちのとった「反省」の姿勢である。
"脱ダム"論の否定は、まちがいを重ねるだけだ。
ダムが"治水"はウソだった
長野県の天竜川や大井川、熊本県で国交省が川辺川ダムを強行しようとしている球磨川本流や全国を歩いてみると、「ダムが"治水"」どころか、ダムが水害をひき起こしていることがわかる。
それには2つのタイプがあり、1つが、天龍川や大井川のように、ダムの堆砂が、ダム上流の河床を上昇させ、水害をひき起こしている例。もう1つが、球磨川や徳島県の那賀川のように、ダムからの洪水時の放水が、下流の都市の水位を一気に上昇させ、水害となった例だ。
天龍川や那賀川では、最高裁まで闘うという行政訴訟となっていたが、これまではそれが大きく報道されてこなかったという悲劇がある。
「ダムが"治水"をしてくれる」という"ダム神話"は、ウソだったのだ。
森から川、川から海のつらなりを取りもどそう
近年カナダでは、ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授によって、サケが森に海の成分を運んでいることが明らかになり、カナダ政府は、「サケのための"カムバックサーモン"」ではなく、「森から川、川から海へ至るつらなり」またその逆の「海から川、川から森へ至るつらなり」を取りもどすことが、全生物および地球という生命体にとって最も重要であったことを認識した。(拙著「ダム撤去への道」<東京書籍>に詳しい)
そのためカナダでは、木材会社が木を伐る度に税金を払い、その税金が「川の再自然化」という公共事業に使われるという施策が行われている。
この"サーモンの教え"は、私達人類が、「近代科学」や「近代河川工法」などを使って地球を牛耳っているつもりでいても、しょせんは、「森が海によって生かされている」ことすら、20世紀の末にようやく、一人の科学者がそれに気づいたにすぎないという、私たちのあまりにもなさけない現実を教えていないだろうか。
私たちがその「近代科学」で誕生させてしまったものは、「狂牛病」であり、「鳥インフルエンザ」であり、「アユの冷水病」といった難病である。
ヨーロッパでは、チェルノブイリ原発の爆発という惨事が市民に警鐘を与え、人々を「自然エネルギー」と「川の再自然化」にむかわせた。
アメリカでは、ミシシッピ川の大水害が"ダム神話"をくつがえし、1995年の「アメリカにおけるダム開発時代の終焉宣言」(拙著「ダムと日本」<岩波新書>に詳しい)に至った。そして、"ダム撤去への道"に拍車がかかり、すでに600を越えるダムの撤去が終了している。
わが国のあやしい"自然再生"
わが国では、2002年12月に「自然再生推進法」が成立し、これは一見、欧米の「川の再自然化」や「ダム撤去」政策に近づいていっているように見えるが、そこには2つの欺瞞が底在していることを知ってほしい。
1つは、この法律を中心になって作ったのは国土交通省河川局で、彼らは仕事を増やしたいために「自然再生」などと謳っているが、事業推進のシステムには、「ブレーキがなくアクセルしかない」ことだ。
NPOと県などが協議会を作って事業が進められるというが、県知事の認めるNPOには建設会社が多く、認めないNPOはダムなどには反対の自然保護論者たちという現実がまず、ある。また、「一つ一つが小さな事業なので、アセスメントはなくても進められる」(環境省の前自然保護局長の言葉)という驚くべき仕組みになっているのだ。
2つめは、この法律を最も多く使って「自然再生」を進めると思われる国土交通省河川局そのものは、片手で自然再生法を使いながら、もう片方の手では、「川辺川ダム」を強制収用までして決行したり、長野県などでは、県の土木という"隠れ蓑"を使って、ダム推進をやめようとしていないことである。
欧米各国の官僚は、20世紀に近代科学や近代河川工法を使って進めた自然破壊を反省し、かつては「"治水"によかれ」と信じて進めていたダム建設が「"治水"にはかえってよくなかった」ことを認め、「川の再自然化」や「ダム撤去」という公共事業を進めている。
私達の国の官僚に必要なものは、この"反省と謝罪"である。
そして国民に求められているのは、決してあやまろうとしない官僚たちよりも賢くなり、やわらかな包囲網で、彼らに反省と謝罪のチャンスを与えることであろう。
いま協同を拓く2004全国集会inながの
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