「"政治"がなすべき解決」
桑名市議会議員 大森恵
河口堰が有害な無用な施設であることはもう十分に認知されている。
それにもかかわらずこの事業を廃止できないのは
「完了した事業は再検討しない」という政治の世界の悪しき不文律によるものである。
「長良川河口堰はもうすべて終わったこと」という「常識」が国も地方も支配している。
この「政治世界の常識」を揺るがし打ち破らなければ、長良川救済への道は開けない。
長良川の自然を取り戻すことはできない。
長島町はいつまでも頭の上2メートルに河口堰の巨大な水量を乗せられていなければならない。
どうすれば打ち破る道が開けるか。
第一に、長良川の河口堰の水は不要だという、私たちの「常識」を
政治の世界の「常誰」に定着させ水の政策を変えさせること。
第二は、河口堰のゲートを開けても岐阜県の海津町など上流には
「塩害」は起こらないという、私たちの「常識」を広範に広めること。
幸い、民主党が大きく踏み込んで「悪しき常識」に取り組む決定をした。
市民運動も新たな決意でこの二つの問題の提起にとりくむ時である。
それ以上に国会も地方もそれぞれの担当できる部署で、
この二つの問題の解決に尽力せねばならない。
私は合併した新しい桑名市の三月定例議会で
「河口碩の水は要らない。木曽川岩屋ダムの水も半分しか使ってないので
岩屋ダムの水利権も組み替えしよう」という一般質問をする。
ダムの給水対象に組み込まれた市町村の水量割当て負担は実態と乖離していて、
その負担が水道会計を圧迫し赤字余計に陥っている自治体は多い。
いつまでも赤字を一般会計から補填するという手法は、
国の三位一体の改革の前で、困難となっている。
かといって水道料金も上げられない。ジレンマである。
「塩害」についての正しい理論をわれわれは持っているか。
「長島」に塩害が無いからという単純な理由では打ち破れない。
「少雨」と「小潮」のときの予想が河口堰裁判で主張されたがその後消えている。
いずれにしても情報も人員も金も握っている国が相手の「常識戦」である。
今までで十年かかった。今後五年かかるか、十年かかるか。
「正しいことは自明となる」を確信して続けよう。
学ぶへきは戦後60年、「二度と戦争はいや」「平和と民主主義」こそ国是と信じてきたのに、
ついに彼らの長い長い念願が成就する国となろうとしている手法に学ばねばならない。
民主主義の制限、戦争のできる国へ、戦前の国旗、国歌の復活など、
彼らは60年かけてすべてを元通りにしようとしている。
かれらは諦めない。やめない。持ちつづける。われわれもそうしよう。
それが政治である。