日米ダム撤去委員会 報告書

ダム撤去へ
大阪高等裁判所「永源寺第二ダム判決」(平成17年12月8日)を読む
                              2006.3.4
                             法政大学法学部教授
                             五十嵐 敬 喜


日本でも田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」(2001年)以来、
それまでのようにダムは一度計画されたら絶対に中止されることはないというような不敗の砦ではなく、
状況によっては中止されるべきものと考えられるようになってきた。

現に全国各地から「ダム中止」の報が届く。
そしてその延長上に、単にこれから建設をやめるというだけでなく、
すでにできているダムを撤去するという局面が考えられるのはある意味で必然ともいえるであろう。

このダムの撤去については、これまでにアメリカの撤去事例がたくさん報告されているだけでなく、
日本でも熊本県の荒瀬ダムの撤去が現実的なスケジュールに上るようになった。
長良川河口堰などで苦杯をなめさせられ続けてきた者からみれば、
このような変化はまさしく今昔の感があるといわなければならない。

なぜこのような変化が生まれたか。
国や自治体の財政難、国の河川法改正に象徴される一定の政策転換、
ダムによらない治水についての国民世論の盛り上がりなどを指摘できるだろう。
そしてその中の一つとして、また意外と忘れられているのであるが、
司法によるチェックをあげておかなければならない。

周知のように、またここでは詳細を述べることはできないが、
市民はダム(最も有名なのが室原知幸による九州熊本の下筌ダムに対する60件を越す裁判。
最近では北海道の二風谷ダム、熊本県の川辺川利水裁判が有名。
室原はことごとく敗れたが、二風谷では実質勝訴、川辺川でも利水部分は勝訴)に限らず、
道路、空港や干拓など、あらゆる公共事業について、沢山の裁判(民事、刑事、行政)を闘ってきた。

しかしほとんどの場合、これらの裁判では「原告適格がない」などという訴訟上のテクニックの前で、
本格審議に入らないまま「門前払い」されてきたため、
当事者など一部の人々を除いてほとんど期待を抱かなくなってきたし、
そのためかほとんど報道もされなくなってきたのである。

しかし、これも全国的にはあまり報道されることもなかったが、
最近このような司法の姿勢を根本的に覆すような判決が大阪高等裁判所
(平成17年12月8日。土地改良事業計画決定取り消し事件。
以下「永源寺第二ダム」、もしくは「ダム事件」という。原審の大津地方裁判所では住民側敗訴)でなされた。

この判決では、国や自治体によってダムというものがどういう風に作られているか、
その虚偽が実に適確に判断されており、その糾弾の論理はダムだけでなく公共事業一般にも広く該当するものといえよう。
そこで今回はこの判決を取り上げ、その論理を分析し、紹介することにする。


ダムの概要
永源寺第二ダムは、近畿農政局が滋賀県神崎郡永源寺町に建設する予定の、
堤高90メートル、堤頂長205メートル、総貯水量2,570万トンの重力式コンクリートダムである。
滋賀県の愛知川沿いの扇状地は従来から水源確保が困難であった。
そのため、永源寺ダム(総貯水量2,270万トン)が建設され、1973年から送水を開始したが、
農業形態の変化などもあって水の供給は十分とはいえなかった。

そのため、1994年1月、農水省は新たな土地改良事業を計画し、
ダムの上流の茶屋川に「永源寺第二ダム」を建設することとした。
総費用は476億円。この土地改良事業は地元農家の申請事業であり、
受益農家に負担金が課される。

ダム本体が未着工なのに総事業費の3分の1の146億円がすでに費消されていて、
建設費用が増加するのは確実とされている。


ダム訴訟の経緯
滋賀県内の愛知川の下流域の八日市市ほか
8町にわたる水田地域の農業用水を確保するために、
愛知川の上流に設置された永源寺ダムの更に上流の同ダムから
北東方向に約7キロメートルの地点に農業用用排水施設として
永源寺第2ダムを新設することを主な内容とする国営新愛知川土地改良事業を
国が1994年1月24日付で計画決定した。

そしてこれに対して第2ダム建設予定地下流域の
永源寺町東部地区等に居住する住民らが行った異議申立てについて、
同年7月14日付で却下及び棄却の各決定をした。

そのため住民らが、本件決定は建設予定地周辺の貴重な自然環境を破壊するものであり、
それに至る手続には土地改良法、同法施行令や他の関係法令等に反する違法がある上、
本件決定は令2条各号で規定されたその必要性、技術的可能性、経済性等の基本的な要件も欠き、
いずれの観点からも違法であるなどと主張して
国に対して本件決定及びこれに対する異議申立てについての各決定の取消しを求めた。

原審の大津地方裁判所は2002年10月28日、
本件決定の取消しを求める部分及び異議申立てについての各決定の取消しを求める部分に係る訴えを
いずれも却下等したため、住民側は大阪高等裁判所に控訴した。


判決の論理構造
判決ではこの事件を次のように整理したうえで、それぞれ以下の「」内のように判断した。

1 手続上の論点
 事業計画を定める手続上、基本的な要件判断の手続過程に重大な瑕疵はあるか。
「ダム地点については、航空測量がされて縮尺500分の1の地形図が作成されただけで、
実地測量はされず、それによる地形図、縦断図及び横断図も作成されなかった。
また、貯水容量の算定の基礎となる貯水池の範囲となるダム池敷全体については、
そもそも航空測量も実地測量も全く実施されず、本件設計基準で定められた
設計に必要な精度をもった測量による地形図も作成されず、
昭和53年に国土地理院に承認された既存の永源寺町の2500分の1の本件基本図により
地形を推認して第2ダムの貯水容量を算定してダムの規模を決定し、
更に、ダム地点の地下地質調査については、ボーリング調査、弾性波探査及び横杭の
いずれも全く実施されないまま全体実施設計がされ、本件決定に至ったことになる。

これらは、本件設計基準において、ダムの規模、貯水容量、更に総事業費を算定し、
必要性、技術的可能性、経済性、負担の妥当性の基本的な要件を判断するために、
全体設計調査の段階で行うべきものとされたうちの極めて重要な調査を省略して
実施しなかったことを意味し、本件設計基準に反するものであり、
また、そのまま全体実施設計をした点で本件局長通達にも反するものであったといわざるを得ない」


2 専門的知識を有する技術者の調査報告(法87条2項、8条2項、3項)は十分か、
調査報告内容の判断過程に重大な瑕疵があるか。

「調査報告書は、近畿農政局において作成された本件事業計画書(案)、
本件全体実施設計書(作成中も含む。)等の基礎資料に基づいたものであって、
本件設計基準で定められた池敷についての地形図が作成されなかったことや
ボーリング調査等の地下地質調査が実施されない状況で把握された
誤った事実を前提にしたものであり、それによりダムの規模や総事業費が
相当に変わり得ること等についての検討や考察がされず、その点において、
法令上要請される専門家としての必要な調査・報告を欠いたというべきである」

3 土地改良法施行令に定める次の要件を満たしているか。
内容
(1)必要性の要件(令2条1号)
 土地改良事業地域の土壌、水利その他の自然的、社会的及び経済的環境上、
農家の生産性の向上、農業総生産の増大、農業生産の選択的拡大及び農業構造の改善
(2)技術的可能性の要件(令2条2号)
 施行が技術的に可能であること
(3)経済性の要件(令2条3号)
 土地改良事業の効用が費用をつぐなうこと。なお、そのほかに農業を営む者が
土地改良事業に要する費用が、農業経営から見て相当と認められるか(令2条4号)。

「国営の土地改良事業に係る本件決定に前記のような瑕疵があり、
本来は経済性の要件の審査において測定方法等の各通達によれば
投資効率が1を下回ることがほぼ確実になって、被控訴人においても
本件決定内容の根本的な再検討を迫られるような計画内容であるのに、
後に事業計画の変更があり得る、あるいは予定されているとして、
その瑕疵が本件決定の取消事由とまではならないと解するのであれば、
本件事業について、遂には、経済性等の基本的な要件を適正に審査する機会が喪失されてしまい、
法が87条3項で経済性の基本的な要件を規定した趣旨も、
それに応じて被控訴人側で測定方法等の各通達を定めた趣旨も
いずれも没却されてしまうことになりかねず、そのようなことになれば、
国や地方自治体の多額の公金を含む多額の費用の投入が予定されている
大規模な国営の土地改良事業である本件事業について、
法及び令が国民経済的な観点から規定した経済性の基本的な要件が無意味になってしまいかねない」
「本件決定には、ダムの規模を誤って設計した瑕疵があったというべきであり、
その瑕疵は、令2条3号所定の経済性の要件の審査について
極めて重要な影響を与えるほどのものであって、
これらの手続経過も適正手続に反するものとして違法といわざるを得ず、
本件決定には取消事由となる瑕疵があるというべきである」
(4)その他の要件
  @環境配慮義務
  A周辺住民等の生命、身体、財産に対する配慮義務
  Bその他の産業と調和することが実体的要件か、そうであれば、それらに適合しているか

評価
ダムに限らず、最近は公共事業についても事前あるいは事後の評価を行う、
という傾向が強まってきている。1997年の北海道の「時のアセスメント」から始まり、
各自治体あるいは各省庁の評価の実験をへて、
2001年「行政機関が行う政策の評価に関する法律」が制定された。

土地改良法はこれらの評価制度以前から存在する有用で有効な評価制度であり、
それは手続と実態に貫徹している。そこでこの判決を見ながらその要件を検討してみることにしよう。

手続について。ここでは主として事業者側の手続違反が強調されているが、
住民側の意見への配慮をもう一方の極として位置づけるべきであろう。
一般的にいって、農業については水あまりがいわれるようになり、
農業の生産力と今後の見通しを見れば、莫大な費用と農民側の負担を要するダムを造ることについては、
当の農民側に否定的な意見が多い。このような意見が計画の時点で反映されていれば、
ダムの中止はもっと容易にできたであろう。

専門家の位置づけ。土地改良法は、ダムを計画(土地改良事業の一環として)するに当たっては
専門家の意見(本件では京都大学の専門家2名)が必要だとしている(8条2項)。
ダムに限らず、どの公共事業でも計画策定時点での審議会、
あるいは評価時点での委員会などで大学関係者を含めて「専門家」が必要とされている。

しかし御用学者という語句に端的にあらわれているように、
わが国ではこのような専門家がほとんどの公共事業を肯定してきたのである。
そして、みんな何かがおかしいと思いながら、それが専門家(学者)の意見であるという理由で
正面切って批判することができないできたのである。

判決は、このようなある種のタブーの下でこの専門家なるものを「いんちき」と決めつけたものであり、
専門というベールで飾られたその内実を見ると、それらは現場を見ないで書いたもので、
いかにも他愛ないものであることを明らかにしたのである。
この判決の最大の特色は、この専門家なるものに騙させるなという警告を発したことにある。

必要性、技術的可能性、経済性の要件。ここではこれらの要件はいわば並列的に検討される。
確かにそれはそれぞれ独自なものであるが、実際は、
必要性は首長や議会の陳情という事実によって肯定され、
技術的可能性は高度なハイテク技術も含めていかなる困難をも克服できるものとされ、
その結果費用、すなわち経済的要件は無限大に膨れ上がるという構造になっていた。

この必要性と技術的可能性の要件と経済的要件は矛盾するのであるが、
実際的には費用がかかればかかるほど良い。つまり、官僚から見れば予算が確保され、
工事側から見れば勿論予算が大きければ大きいほど利益が大きく、
また政治家からいえばその分だけ見返りも大きくなるというものであろう。

地元からいえば費用がかかればかかるほど地元に配分される利益も大きく雇用も増える、
ということで肯定されてきた。ここには最終的な費用の負担者である国民以外に困る人はいない。
これが小さく生んで大きく育てる公共事業の秘密であった。

この判決は、そこでこの連鎖の論理を切るべく費用負担(費用対効果比)を「1」以下、
つまり赤字になるということを計算し、これは国民に余分な負担を与えるということを根拠にして、
必要性あるいは技術的可能性を否定していくという手法をとり、
それによって連鎖の論理を封じたのである。

この方法は二つの示唆を与える。一つは、高速道路、新幹線、空港などなど、
現在計画されたり実施されている公共事業のほとんどは費用対効果が合わない、
つまり赤字になる。したがってそれらは作ることができない、ということである。

第二は、この当然の論理は実は行政及び議会によって否認され、
最後の審判者である司法によっても無視されてきたが、今度は司法が審判者になる。
言い換えれば、行政と議会という二大権力が裁かれる、
といういわば近代政治(三権分立)の当たり前の姿を取り戻したのである。

日本中かくも無駄な公共事業がはびこり、財政赤字を生み出し、
環境を荒らしてきたのは、この判決のような当然の論理が働かなかったからである。
この論理は今後の公共事業を考える上で希望の星になる。
最後の環境配慮義務などは、このような論理に従えば、仮に費用対効果が「1」以上、
つまり黒字になっても、それが環境を破壊するような場合は、
それでも中止すべきである、という要件と見ておきたい。

そしてこのような流れでいえば、ダムは最大の環境破壊物として、
なお何がしかの効用が残っていたとしても、この要件に照らして違法であるとして、
撤去されなければならないのである。

                    


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