山鳥坂ダム建設計画の欺瞞
大洲市の住民投票を実現する会事務局長 有友正本
○これまでの山鳥坂ダム問題の経過
2004年5月肱川水系河川整備計画に、山鳥坂ダムが治水単独ダムとして位置付けられ、与党三党の公共事業見直しにより、宙に浮いた形になっていた山鳥坂ダムの建設の方向が確認されます。このダムは、もともと分水と治水の多目的ダムとして計画されたが、流域からはその治水効果と分水が問題にされ、受益地からはそのコストと分水量が問題とされた。その結果流域の中心自治体である旧大洲市では、有権者約三万人の中で市民団体が二万二千人の署名を集め、肱川漁協は一万六千の署名を集め市議会に提出します。これを、1996年3月市議会は全会一致で受け入れます。
ところが、与党3党による公共事業の見直しが行われるや、これを覆すため建設省や県の必死の画策が始まる。まず、知事は、『洪水問題が起きた時、国・県の怠慢とは言わないでほしい。それを覚悟の上で工事中止を求めたと理解したい。』と発言します。そして、利水量が削減された新たな計画が提案される。ところが受益地から利水コストが高すぎると新たな計画が拒否されます。
次に舞台は、新河川法が適用される、治水単独ダムの位置づけへ移ります。
まず河川整備基本方針の策定、これを決定する小委員会で戦後最大の洪水とされていた1945年の洪水の雨量が測定されていなかったことが明らかになります。これは、ダムを造るためにデータを捏造していたことになります。さらに、1948年の洪水の最大流量は4,800?とされていましたが、5,400?に変更されている。これについて説明を求めて所、流量測定地点のすぐ下流で破堤したから戻し流量を計算し600?プラスしたとの回答。これに対し根拠を示せと質すと、「情報公開請求を」ということだったので、行ったところ出てきたのは写真一枚。これでは説明責任は果たせない。次に整備計画を決定する流域委員会、これは住民参加で行うことが明らかになっていたが、直前に変更され住民参加は否定されます。委員会の構成は、流域自治体の長と学識経験者、これにより肱川流域委員会は、ダム審議会以下の委員会にされてしまいます。この委員会で、山鳥坂ダムの建設・鹿野川ダムの改造・堤防建設がセットになった肱川水系河川線整備計画が策定されました。
次に、環境アセスが行われます。クマタカ・ミゾゴイをはじめ貴重な動物の生息が確認されたが保存措置は十分とはいえません。また、サナエトンボ類・ムヨウランなどについては検討委員会で移植が困難とされながら、移植と結論付けられます。肱川にとって最も重要な魚である鮎(全国の河川の中で肱川は、鮎の天然遡上の比率が最も高い川)については何の調査も行うことなく環境アセスは『ダムありき』で進められます。このまま事業が進捗すれば、山鳥坂や肱川の豊かな自然が失われるのは時間の問題です。
○山鳥坂ダムの治水効果
2004年に策定された河川整備計画では、山鳥坂ダムの治水効果は毎秒450?とされています。山鳥坂ダムの流域面積は約5%です。元来、毎秒750?とされていた鹿野川ダムの治水能力は現在では野村ダムと合わせて毎秒450?とされています。両ダムの流域面積は肱川の流域面積の約38%を占めます。到底、鹿野川ダムと野村ダムを足したものが、山鳥坂ダムの治水効果と同じとは考えられません。もしこんなことが現実に存在するとすれば、よっぽど特殊な降雨パターンを採用した結果でしょう。
○肱川の治水のために急ぐべきは
急ぐべきはダム建設ではなく無提地区(県管理区間)の堤防建設です。そしてもう一つ急ぐべきものがあります、それは河床の土砂の浚渫です。肱川は全長約100qの河川ですが支流は大小合わせて474あり土砂の本流への流出量は大きい。その上、肱川は中下流域の勾配が少ない川です。そのため治水のために、河床の土砂を除去することは不可欠です。
新政権の誕生により山鳥坂ダムの凍結・見直しは既定の事実になりました。すぐに実現できる治水対策として、県管理区間(いまだに10キロ以上の区間が無提地区)の堤防の早期建設と土砂の除去を求めます。