「2009 長良川救済DAY」
〜長良川河口堰撤去が、日本版"グリーンニューディール"となる〜
2009年10月18日(日)
パネルディスカッション
天野
皆さん、今日は私たちの記念すべき日です。私自身は今56歳ですけれども、1988年の34歳の時に、長良川河口堰の反対運動を始めました。そのときに日本には、本流にダムのない1級河川は二つしかありませんでした。一つは釧路川で、もう一本が長良川でした。釧路川は流域の半分が湿原のために、ダムが造れませんでした。もう一つの長良川は、先ほど武藤さんが「天皇の御漁場に何たることか」と言われましたけれども、天皇の御漁場だったので昭和34年まではダム計画がない長良川でした。私は日本中の川を釣り歩いていたので、日本中のダムがある川で、ダムができたことによって川が死んでしまい、流域の人々が、ダムができたら幸せになると言っていたのに幸せになっていない現状を見ていたので、ダム反対を立ち上げました。
そのときに私たちの仲間になったのは、もう今は写真の中にしかいない村瀬惣一さんです。そして私にダム反対の根拠を教えてくれたのは山本尭さんでした。多くの仲間がもう写真の中にしかいません。大森勝義さんもここにいます。そして恩田さんがここにいます。そういったたくさんの人々が22年間、長良川という一本の河川のためではなくて、日本中の河川をよみがえらせるために反対運動を続けてきた結果、私たちは政権を取りました。
9月18日に菅直人さんが、あるところでワインで乾杯をしようと言って、私と五十嵐さんを呼び出してくれました。9月18日は、皆さん、官邸の中に国家戦略室ができた日でした。菅さんは3人でお祝いがしたかったんだと言いました。私たちの市民革命が成ったんだと言ったのです。
それは総理大臣がダムに反対し、民主党というパーティが反対し、そして何とこれまでダムをずっと造り続けてきた建設省、今、国土交通省という役所の大臣が、八ッ場ダムをやめる、川辺川ダムをやめる、国土交通省の予算を使うすべてのダムをまず凍結すると言ったじゃないか。市民革命が市民のために、市民の手によって成ったんだと言ったのです。誰よりもお祝いをしたかったのは、天野さんと亡くなった村瀬惣一さん。私、菅直人は社民連という小さなパーティから村瀬惣一さんに育ててもらい、そして今、副総理になった。私は村瀬惣一さんと取り組んできた長良川河口堰の反対が、今のこの民主党で、総理大臣も民主党もそして国土交通大臣もダム反対を言うという革命を成し遂げたんだと言って、3人で3本もワインを飲みました。そんな日が9月18日でした。
それから10月6日。10月6日は農林水産副大臣の山田正彦さんという人が私の前で林野庁長官を呼んで、こんなことをおっしゃいました。民主党の来年度の農林水産省の林野庁の予算は、森林所有者を取りまとめて、作業道を付けて、そして山から材を出していく、林業をよみがえらせるということにしか使わない。「緑のダム構想」で行くんだということを林野庁の長官に言われました。
次の日、私はあるところで、秘密裏に前原さんと会いました。前原さんは長良川河口堰に自分が行こうと思っていたけれども、行かないとおっしゃいました。しかしながら彼はその2日後に、皆さんの手元にもいろいろな新聞がありますけれども、すべてのダム、国土交通省のダムと導水路事業を凍結すると発表しました。
また昨日は岡田外務大臣が、もともと自分は木曽川導水路事業は要らないと思っていたということを発表してくれています。私たちが昨日、水郷水都第25回会議でこういうことをやっていることを承知の上で、多分岡田さんは外務大臣だけれども、木曽川導水路は要らないということを発言されたのだと思います。
なぜ皆さんにこんなことを言ったかというと、今日お集まりになった皆さんの一番の心配は、本当に民主党や民主党政権、与党政権はダム反対をやり抜けるだろうかということだと思ったからです。
さてそういうことで、国家戦略局でも心配していただいているこのダムの事業ですが、まず、多分まもなく国家戦略室の重要なパートナーとなられると思われる五十嵐先生。さて、民主党あるいは与党政権はダム中止ということを言っていますけれども、日本のダムの点検はどのように進んでいったらよろしいでしょうか。
五十嵐
五十嵐です。今、天野さんからありましたように、革命は始まったばかりです。政権を取りましたので、革命をこれから進めていかなければだめです。ダムに限ってどういうことが起こるか、近未来のシナリオについて問題提起していきたいと思います。
まず川辺川および八ッ場ダムについては中止すると、前原さんは言っております。それを含む143のダムについては、いろいろな段階がありますが、一応原則凍結と言っております。今後これについて近未来にどういうことが起こるかというと、実はいろいろ剣が峰を渡っていかなければいけません。それは淀川水系やその他でいろいろ私たちがやったとおり、河川計画、河川整備計画を変える場合には、地元関係団体その他の意見を聞かなければいけないということになっております。恐らく川辺川も八ッ場ダムも中止ですけれども、前原さんは意見を聞くと言っていますし、それからそれを143のダムについても一応意見を聞く手続きをどこかで開始しなければいけないということです。
その際注目すべきことは、こういう意見を聞く会を設けますと、やはり今のところ政府が突出して革命みたいになっているだけで、国民全体、特に地方自治体というところはまだまだ保守系のままです。明日、東京都の石原慎太郎さんはじめ、八ッ場ダムに関係する首長さんたちが八ッ場ダムに集合するようですが、そこでは多分ダムの中止に反対という意見を出すのではないか。改めて水系委員会ができます。そこではそういう人たちが中心となってかなりの大きなところで、中止に反対という可能性があります。
それを受けて前原さんはどうするか。ここからが分かれ目なのですが、私たちはその裏側をやってきたわけです。つまり淀川水系委員会などで国土交通大臣に対し、ダムをやめろと言ってきたのですが、それを聞かなかった。つまり水系委員会で決めたことがただちに国土交通大臣に大きな拘束力を示すものではないという理由で、今までの国土交通大臣はそれを無視してきた。前原さんも、もしそういう旧来型の慣行をやれば、これを全部無視して、権力者ですから最終的にダムの建設はすべて中止であるとそういった公共事業の全体について禁止することは可能です。ただしそういうやり方がいいのかどうかということは大いに問題がありまして、多分、今度前原さんが何かの拍子に別な人に代わったときに、こういうやり方をしますとぐるぐる変えられるということになりますので、ここには法の適正な手続きというものが必要だろうと、私は考えています。
実はこのことは四つ目、2000年の段階で、今から8年前に予想しておりまして、こういう場合どうするかという一つのプランを出しております。それが「緑のダム構想」と並ぶ「公共事業コントロール法」と言っておりましたが、「公共事業コントロール法」というものを作らなければいけないということを提言しています。それはダムだけにするか、道路やその他の埋め立てを含むかどうかわかりませんが、とにかく公共事業を中止するかどうかの基本的な原則は、やはり法律がないですから、それに基づいて具体化手続きを進めるという「公共事業コントロール法」が必要だろうということです。
一番重要なことは今回のすべてのダムをめぐる一番大きな悲劇は、公共事業に要する時間があまりにも長すぎる。八ッ場ダムも川辺川ダムもほとんど50年を要する。時間の原則というのがありますので、これをサンセットする条項を入れようと。つまり5年で計画が実現しない場合には自動的に中止するというようなサンセット条項を入れようということを前から言っています。これは何となく理解が得られそうだと私は思っています。
もう一つ問題なのは、そのほかサンセットにかからないいろいろな事業について、どこかで誰かが評価をするということです。評価を入れようということです。ただこの評価については、あとで宮本さんなどのお話で出るかもしれませんが、実はどこでもやってきています。ダムについても道路についてもやっています。問題はそれらが一つも中止のほうに行かないのです。ゴーサインになってしまうということが問題なのです。そうではなくて新しい評価のシステムというものを、学問的にも手続き的にも叡智を集めて作らなければいけないと私は思います。その一つに費用対効果などがありますけれども、それを官僚に任せてしまうと変な費用対効果の計算法でとてもだめになるということがあるので、ここは学識者など日本のスタッフの最高水準の評価基準を定めなければいけないと、私は思っています。
もう一つは、仮にこれを中止する、あるいはもっと別に、これは新しい公共事業の夜明けだと思いますけれども、既にできているダムなどを撤去するというようなときの新しい費用手続きがいる。中止する場合には補償をどうするか。撤去する場合どういう方法でそれを撤去するのかということについても、公共事業としての構造の全体で考えなければいけないと私は思っていまして、これなど早急に国会に上程し、もちろんその前に上程する案を作らなければいけませんが、その上で大事な、事業の進展の点検に入る、新しい財源を生み出すといったことをやらなければいけないのではないかと思います。
一番問題はいよいよこれについて国会でそういう法律を作りますけれども、現実にこの作業をやるのは国と自治体です。自治体は先ほど言いましたようにもちろん少しずつ熊本県などの一部、このダムの中止を知事も言っておりますが、率直に申し上げますと民主党議員を含めてまだまだダムを継続したほうがいい、道路を造ったほうがいいというような人たちも多い地域もありますので、ここに至る部分をどう変えていくかということだと、国民の側の意識aになってくるということです。つまり革命というのは政府だけではなくて国民の側の意識変革を含めてみんなで進めていくものであるということです。
天野
今、お話しになった五十嵐さんは、皆さんの資料の22ページに「緑のダム構想」というのがあって、2000年に民主党代表であった鳩山さんから五十嵐さんと私が「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」というのを作るように諮問され、その委員会が初めて出したものが「緑のダム構想」でした。しかしながら、今、五十嵐さんが言われた「公共事業基本法」、あるいは俗名で「公共事業コントロール法案」というのは、それよりもまだ3年前の1997年に、亀井静香建設大臣が河川法を改正しようとしたときに、衆議院の建設委員会に建設省は河川法改正を出しました。私たちは菅直人さんと一緒に「河川法改正案対抗法案」というのと「公共事業コントロール法案」というのを出していました。その「公共事業コントロール法案」というのが、今、五十嵐さんが言った公共事業に対する基本的な法律が必要であるということです。
五十嵐
一つだけ追加させてください。公共事業をめぐって最近行政の革命だけではなくて、裁判の中でもほぼ従来の法的な感覚から言うと革命に近いような判決が次々と生まれているということです。
一つは広島県福山市で鞆の浦というのがありまして、ここでは歴史的文化景観というものに基づきまして道路と埋め立ての公共事業を差し止めました。
もう一つあとで報告があると思いますけれども、沖縄県の泡瀬干潟というところで、ここでも行政、県の言っているリゾート施設などは全くの噴飯物であるということで、経済合理性がないということで、県側の控訴を棄却しています。
もうすぐ諫早湾でもこれに似たような判決が出されると言われていまして、一審では既に締め切った諫早湾の堤防を開けよという判決が出ていますが、これに対する控訴審の判決が出そうだと。もしここでゲートが開くような判決が出れば、単に行政として革命が起きているだけではなくて司法界も完全に変わるということですので、これを念頭に置いて地方のことを考えてもらえればいいと思います。
天野
裁判についてはこのあとNGOの中に泡瀬干潟でつい最近勝利したグループも出てきますけれども、皆さん16ページを見てください。16ページに「農林水産省生物多様性戦略のポイント」というのを載せています。農林水産省が平成19年に発表したものです。ちょっとだけ読んでみます。「農林水産省は、人間の生存に必要な食料や生活物質などを供給する必要不可欠な活動であるとともに、多くの生きものにとって、貴重な生息・生育環境の提供、特有の生態系の形成・維持など生物多様性に貢献。」とあります。
それからおいて5行目。次、5行抜かして、「しかし、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地・水路の整備、埋め立て等による藻場・干潟の減少など一部の農林水産業の活動が生物多様性に負の影響。また、担い手の減少などによる農林水産業の活動の停滞に伴い身近に見られた種の減少や鳥獣被害が深刻化。」と書いてあります。
そしてもう1枚めくってください。17ページです。写真が大きく二つあります。下の写真を見て諫早の人、気がつきませんか。この写真、「埋め立て等による藻場・干潟の減少」と書かれているこの写真は諫早湾のゲートが閉じられている写真です。これ、皆さん、農林水産省のホームページに載っているんですよ。農林水産省はこの写真を載せたあとに佐賀地裁が去年の12月に諫早水門を閉じているのは違法だと言ったときに、すぐに控訴できませんでした。控訴を発表するのに1週間かかりました。それはこういう写真がもう農林水産省のホームページに載っているからなんです。日本の官僚も干潟の埋め立てやダムを造ることが最初に予想した被害、「被害は軽微で、軽く、微少である」と考えて経済のためにダムを造ってきて、埋め立てをしてきてくれたけれども、実際起こった被害はちっとも軽微ではなかったということを、農林水産省は世界に向けてこんな写真を発表して、もう認めているということだと思います。
さて次に、今本先生にお話ししていただきたいと思います。今本先生、よくジョークで、昨日も前夜祭でお話をくださったときに、「私はね、もとは御用学者だったんだよ」と言われるのですが、その今本先生、今の五十嵐さんの法律で止めなければいけない、あるいはやっていくということ、ジョンさんも先ほどみんな法律を作れということをおっしゃいました。先生はどうでしょうか。
今本
まず、御用学者ということですが、私は御用学者と見られていたというだけで、私は御用学者という意識は毛頭ありません。それは気がつかなかったのかもしれませんし、御用学者になるほどの地位を与えられていなかったのかもしれません。いずれにしましても、今の五十嵐先生のお話を聞いていまして、確かに日本は変わりつつあるなあとは思うのですが、まだまだそうじゃない。例えば先ほど熊本県の知事のことを言われましたが、川辺川のダムを白紙にしながら、あの路木ダムをやろうとしているというのを見ていますと、「どういう方かな」と私は疑問に思います。
つまりダムに対する原則がないのではないか。その原則というものをなくしているのは、昨日のお話でも「政・官・行」という癒着に「学」の癒着があるというお話が出ていましたけれどもそのとおりで、特に私は「学」の立場から言いますと、学者というのは本来、真実に対して、あるいは真理に対して謙虚であらねばならないだけであって、そのほかは自由に振舞う、これが学者だと思っています。それがそうではない人が非常に増えてきた。今日僕は沖さんがこの場に見えられてきっとプレッシャーが掛かるだろうなと非常に気の毒に思っているのですけれども、そんなことのないように願っています。
とにかく学者というものはきちんと、自分の研究だけの場合はどんなやり方でもいいのですけれども、社会にかかわるときにはもっと考えてから言ってほしい。多くの方は考えずに言われたままやっているというのが多かったのではないかと思っています。つまり意見というのは、例えばダムの問題で賛成という意見でもいいです。正々堂々と賛成というのを主張して、できれば反対派の学者と議論してほしい。それも公開で議論してほしい。逃げないでほしい。それだけの勇気のない人は発言しないでほしい。間違ったことを言ったら腹を切れとは言いませんけれども、社会的に隠遁してほしい。例えば地すべりが起きないと言って起きたとしたら、起きないと言った学者は隠遁すべきでしょうね。切腹と言いたいところですが今は言えませんので、そのくらいの覚悟で言わなければならないと。私自身、もし自分の言っていることが間違っていたら、私は隠遁します。そのうちにお迎えのほうが先にくるかもしれませんが、そういう覚悟で言っていますので、ひとつよろしくお願いします。
天野
皆さん、さっきジョン・シーバックさんの絵の中にグレン・キャニオンダムというのが出てきました。グレン・キャニオンダムは220メートルの高さがあります。あの上に私と五十嵐先生は1996年に立ちました。6月だったのですが、その3カ月前の1996年3月からアメリカではあのダムを撤去するための実験が始まっていました。それを始めた人たちは民主党政権になったらゴアが21世紀を祝して、自分が大統領になったらグレン・キャニオンダムのゲートを上げる。そのために1996年の3月から1カ月間ゲートを開けっ放しにして、このダムがよみがえったときに下のフーバーダムまでの川原がどのようによみがえるかというのを実験しているんだと聞きました。
そのときにダム運用部長のホワイトさんが、私が「うちの国には金丸とか竹下という人がいて、あなたの国のようなことにはいかないんだ」と言ったら、私の肩をどんとたたいて「何、言っているんだ」と。「俺はダム運用部長だぞ」と。「だけどここで、ボートで川下りをするのが大好きで、あなたたちの国もうちの国が今やっているようにダム撤去とかそういうものにすぐに進むようになるよ。そのときに俺たちが今ダムを中止して、三峡ダムも止めるように中国に言っていて、誰の意見を聞いたかというと、あなたのように一番怖い人の意見を聞いて自然を再生しようとしているんだ」と言われたのです。そのとき私たちは、昨年まで長良川で宮本さんと円卓会議をやって、私たちは言い負けなかったけれども、社会党の大臣が運用してしまったので、この人を私は敵だと思って恨んでいたのです。あんな宮本さんのような人が私たちとしゃべるようなことが起こるはずがないと、そのときホワイトさんに言いました。
でも今、宮本さんはここにいます。自ら建設省を辞めました。なぜか。それは長良川河口堰を運用したあと、運用した社会党大臣がこの大きな運動に応えなければいけない。それには流域で流域委員会を作ろう。まず近畿で宮本さん、やってくださいと言われたわけです。そして宮本さんは淀川流域委員会をセットするほうの官僚にいました。そして淀川流域委員会が宮本さんのセットによって非常に民主的に運営されて出てきた結論が、ダムを造らないというものでした。宮本さんは、それは河川法に反すると言って官僚を辞めたわけです。河川法は長良川河口堰の大きな反対運動もあって1997年に亀井静香さんが「住民対話」「環境重視」という二つを入れて改正したものです。その精神に則った流域委員会を諮問した役所が流域委員会の言うことを聞かないのは法律違反であると思われたのではないでしょうか。宮本さん、それからずいぶんご苦労をいただいてきて、私はここまで、私たちの運動も政権も成ったと思っていて、一つの宮本という生きている人間がエポックを作ってくれたと思っています。
さて私たちがこうやって政権与党となってダムの点検ができるようになったとき、一番重要なことは何だと思われますか。
宮本
その前に今日は私、京都から来たのですけれども、今日は12時にここに集合ということになっていたのですが、やはり桑名まで来たら長良川河口堰を見にいかないかんと思って、朝、早めに来て行ってきました。河口堰の管理所から揖斐川の中提まで、あの河口堰の道路ですね、管理橋、あれを行ってきたのですが、やはり来ると違いますね。その当時のことがふつふつと思い出されてきます。あの当時、やはり戦争でした。私はその前は岡山県の苫田ダムというところで、また別の意味でのそういうことがありました。長良川に最後の所長として来たのですが、そのときにはもう本当の全面戦争。まさに天野さんがこちらの大将で、建設省と大変だったわけですね。いわばその前線に私は放り込まれたわけですが、戦争でした。
私は今日改めて、公共事業は戦争によって進めたらだめだなと思いました。公共事業は当然住民のために、あるいは地域のためにある話ですから、その地域の人、住民の人と戦争をして進めるものではないと、私は思っています。
そういう意味で、私は淀川で流域委員会を立ち上げたときも、初めから賛成だ、反対だという議論をしてしまったら本当に戦争になってしまう、どうしようもないと思いましたから、とにかく役所は落とし所というものを決めずに、議論の中からみんなで共有したものを積み上げていって計画を作ったらいいじゃないかということでやってきたつもりです。それはあくまでも今の新しい河川法に基づいてやってきたのですけれども、今、天野さんがおっしゃったみたいに、最後の最後は、私も本当に痛切に感じたのは、理屈として何でこんな理屈が通らないのだ、何でここでごまかすんだ、なぜ逃げるんだといった中で、最後は流域委員会の意見は聞かずに見切り発車、そして強引に進めるというふうになりました。
今日は恐らく全国からいろいろなところが集まっていると思いますが、いろいろなところで役所とのやり取りがあると思います。そのときに皆さん方が恐らく一番忸怩たる思いをするのは、なぜまともに答えてくれないんだ、なぜ逃げるんだ、なぜ隠すんだということが、私は非常に多いと思うのです。
これから、先ほど五十嵐さんがおっしゃったみたいにダムを本格的に見直すことになるでしょう。そのときにもし仮に、今までは例えば河川審議会といいますが、中央での、霞ヶ関に委員会がありますね。ああいうところで決まってきます。その委員会のメンバーをごっそりと変えて、そして今度はダムをどちらかというと中止していくんだということをやると、オセロゲームみたいなもので、また次、角っこが黒になればまた全部黒になるわけですよ。これはダムを造ったりやめたり、造ったりやめたりになってしまう可能性があるわけです。ですから、私はそれはやるべきではないと思います。あくまでも今回の民主党の新しい政府も大きな柱は地方主権です。地域で徹底的に議論をして、そのダムなりその堰なりその導水路が、その実態はどうなんだということをまともに議論すれば、私は、その結果として「要る」という場合もあるでしょうし、「要らない」という場合もあるでしょう。その議論をする仕組みをまず作るべきだと思っています。
ですから先ほど一つ言われたサンセット条項というのは当然、例えば5年なら5年ですね。もう一つは、やるとします。そのときに、例えば説明するほうが逃げたり、あるいは情報を隠したり、あるいはごまかしたり、そういうことをすると、もうそこでサンセット。もう要するにそれは説明責任を果たしていないんだということで、止めてしまう。今までは、役所はダムを造るために逃げたりごまかしたり隠したりしていました。今度は役所が隠したり逃げたりごまかしたりしたら、その時点でその事業は進めなくなる。そういうもう一つの足かせというか仕組みを、私は作りたいと思っています。
それともう一つは、地方で議論をすると市町村、あるいは都道府県の知事が、近畿は違うのですが、どうしても賛成のほうに回る。これはどちらかというと、特に市町村は負担がないんです。だから基本的にはやってくれ、やってくれなんです。だから恐らくダムにしても道路にしても、自分たちに何の負担もないものですから、国からお金がきたらいいわということでやってくれとなるわけです。ですからそこはやはり地域でやる事業は地域の痛みを感じないとだめです。だから本当に学校教育、あるいは医療に持っていったほうがいいのか、あるいはダムを造ったほうがいいのか、あるいは逆に堤防をやったほうがいいのかというところをそれぞれの自治体の方が悩まないといけないと思うのです。財源と責任と痛みですね。そうするためにはやはり地域主権ということとワンセットでこの議論をしないと、中央だけで何かものごとを決めるということであれば、さっき言ったようにオセロゲームになってしまうわけですから、徹底的に地域主権と地域で痛みを感じるということと、そして役人のごまかし、隠し、逃げ、これを排除してしまう仕組みを、このダムの見直しについては行われるのではないかなと思っています。以上です。
天野
皆さん、すごくわかりやすかったと思うのですが、ごまかし、隠し、逃げとおっしゃったでしょう。日本の官僚はほかの国の官僚もそうだと思いますけれども、非常に優れていて絶対に法律を犯さないということに腐心するわけです。彼らが公共事業をやるときの大原則があって、それは、被害は軽微、被害は軽く、微少であるということを前提にやりますよということで説得していくわけです。ですが、そうではないことがほとんどなので、ごまかしなどが行わなければ事業が遂行できないということだと思います。
さて、今日、東京大学から沖先生が来てくださいました。沖先生といえば水問題の大家です。昨日の第25回水郷水都全国会議のテーマは「ダムに頼らない治水行政」でした。ダムを造るときは治水と利水というものが柱になっていて、先生のご研究はどちらかというと利水のほうも大きいですね。そういう観点からでもいいですし、今の民主党の変わりようみたいなものも含めて何か言葉を。
沖
沖と申します。今本先生から先ほどは、恨まれなければいいがみたいな話がありましたが、昼ご飯のときにほかのパネリストの方を紹介していただきまして、天野さんから宮本さんを昔は向こう側だったのがこっち側にきたんだという、向こう側とこっち側という話があったのですが、多分こういう仕切りをするのは、先ほどの円卓会議ではないですが、落とし所が消えるということだろうかと思います。ダムに関しては、私は蒲島知事にお会いしたことがありますけれども、恐らく是々非々でやられているのではないかなと私は見ていて思いましたけれども、つまり反対する理由もいろいろあって、環境に悪いということをもあれば、昔ながらの地域のコミュニティを分断するというのがありますし、あるいはコストの問題でどうしても困る、多少のメリットもあるだろうけれどもとてもじゃないけどお金が払えない、いろいろな理由がある中で、多分それぞれで知事としては判断されているんじゃないかなと思います。
今日、お話をずっと聞いていて一番思ったのは、ダムが嫌いな人がこんなにいるんだなあと、やはり参考になりました。そうしたときにダムをやめさせるためには、その人たちは何でやめたがっているのか。それは単にやはり先ほどのお話じゃないですけれども、官・学の学も入った、私はダムであまりお金をもうけたことはないですが、官・学、産・官の癒着によるという、税金にむらがっているという構造なのか、それだけではなくて公共投資、先ほど今、宮本さんからですと首長さんも欲しいというように、やはり自分のところにお金を持ってくる手段として持ち出すというか、あるいは例えば河川局に対しても、河川局の中を見ているとこれ以上ダムが造れると本気で思っている人はいない、中にはいないこともないでしょうけれども、私にはいるとも思えないですね。ただ組織、そればかりやっている会社などもありますから、そういったサプライ、あるいは維持拡大のためにダムが必要だと思っている人がいるのか、本当に治水のためにダムが必要だと思っている人もいるのか、相手が何のために造りたいと言っているのかというのを押さえないとうまくいかないですね。
あと、孫子の兵法じゃないですけれども、本当にやめさせたいと思ったら、もちろん制度を作るというのは非常に大事で、官僚は結局は法律で動きますから、やはり仕組みを変えることだと思いますけれども、もう一つはあたかも向こうから「やはりこのダムはやめましょう」と言い出させるのが多分一番上手なやり方ですね。あるいはもう言い負かして参りましたと言うわけはないので抜け道を作るとか、やはりいろいろな作戦を立てて、本当にやめさせたいのなら戦う、戦っちゃいけないと宮本さんはおっしゃいましたけれども、戦ったほうが楽しいですからつい戦うことになる場合もあると思うのですが、本当に勝ちたいと思ったら勝つためのやり方というのがあるだろうと、私は聞いていて思いました。
それから、ではダムそのものをやめることはあるのかという話ですが、私の聞き間違いでなければアメリカには1万くらいダムがあると思いますが、年間30個しか撤去していないのはまだ少ないなと。日本も3千や4千ぐらい小さいのも含めてあると思いますけれども、古くなってくれば当然改修、撤去という話が出てきますので、そういう話になっていくでしょうし、維持管理が大変だという話もありましたが、人口が減っていく中で今の水資源施設を全部維持していくことが多分できなくなる時代がきます。そうなってくると、凍結どころか「ダムをやってください」と言っても多分そんなお金はどこにもありません。昨日の話で言うとダムは造ろうとしているのに堤防の補修はないという話がありましたけれども、私などが洪水のあとに見たりすると、やはりもう改修の費用じゃなくて災害があったときに初めて補修というお金が出る。それで何とかもたしている。これは川の堤防だけではなくて橋だってそうですし、道路だってそうですし、そういう時代にもうなりつつありますので、多分今最後の大きなダム計画であって、導水事業というのはそのままマックス、ああいうのに1千億円というのは、私の金銭感覚から言ってそうかなということですけれども、まあそんなになくて過去に10年、10ぐらいのものからどう凍結していくか。そのためにどうするかの正しいヒントがもらえるなという気が私はしています。
天野
21世紀に水の争いが起こるような国もあるけれども、日本においてはどうだということについては。
沖
それはもう明らかで、つまり日本のように、例えば関東で今ある八木沢ダムをなくして、利根川河口堰も撤去して、首都圏の水が足りるかというとこれはかなり厳しいと思います。ただ今後人口が減ってくると、うまく人口移動さえすれば水は余るのは当たり前ですよね。しかも一人当たりの使用量も節水意識の向上で減っていますので、これ以上水需要がぐんぐん伸びるというのはやはり考えにくいんじゃないかと思います。ただそういう状況の中で世界を見ると、日本とまったく違うわけです。日本のように、飲める水がそこそこ安価な値段でひける国というのは少ない。
今本
ダムが嫌いな人が多いと言われましたが、私、実はダムが嫌いじゃないんです。どうしても要るダムは要ると思っています。要るダムがないから困っているんです。
天野
宮本さん、制度というか、例えば河川法は、私は環境重視と住民対話、非常にいいことだと思いました。でも宮本さんが河川局を辞めたのはその二つのすばらしいことばが実行されていないからですよね。では今後、私たちが河川法をどのように変えるか、あるいは制度をどのように変えたらいいでしょうか。
宮本
私が辞めた理由はそんな単純な話ではないのですが、昨日でしたか、河川法を改正した時の局長が小田さんという人なんですが、この人が雑誌に書いていたことがあります。まず、八ッ場ダムの話を書かれているんですが、ダム中止云々という前に、とにかく治水利水についてまず真剣に考えようや、ということを言っています。それからもう一つは、それについて公開の場で徹底的にやはり全部を出し合ってかみ合った議論をしようじゃないか。それをやろうとしたのは、実は全国で淀川水系しかなかったんです。利根川もそれをやっておけばこのような今の八ッ場のような話にはならなかったのではないかということは書かれていました。半分当たっているのですが、淀川だけやったようだと。その淀川でさえ、実は最終的にはだめだったということなんです。
だから私は今の河川法の中での最大限のことを淀川で今本先生もやってこられたし、今日も川上さんとか千代延さんとかおられますけれども、やってきました。だけどやはり国の諮問機関としての委員会という限界があるわけです。いくら言ったって最後は、役所が「自分たちの意見と合いません。意見は聞いたけれどもやります」という話になるのです。
そこをどういう仕組みにするかということだと思うのです。だから私はひょっとすると河川法の改正ということもあるのかもしれないけれども、もう一つ根本的に河川法の事業主体の、まさに諮問委員会ではなしに、さっきも言いましたが、そこにやはり地方主権というか殻があって、地域のあるいは自治体なり、地域の住民がもっと主体的に議論ができて、そしてそこである程度の意思決定ができることが担保できるような仕組みを、私は作るべきではないかと思います。
ですからさっきから何遍も言っていますが、このまともな議論が地域で、それぞれの人が痛みを感じてできるような仕組みを作るためには、決して中央だけの仕組みではできません。必ず地域に権限を下ろす。あるいは流域に権限を下ろすということをする必要がある。それだけではできないと思いますが、少なくとも必要条件としてはそれが必要だと思う。今日はさっきの話を聞いていたら、今の新政府になって「革命だ、革命だ」という話が出ていますが、まさに革命的なこの公共事業自主決定システムを変えないと、何となくちょっと小手先でこうしたらうまくいくんじゃないかというふうなことでは、私はないと思うし、逆に今の新政権がやるべきことは、ある意味においてはここから向こうのそぐ仕事。公共事業の意思決定における革命的な仕組みづくりだと思っています。
その仕組みづくりは、決してわれわれが新政府に「はい、お任せよ」と、「考えてくださいよ」と言うのではなしに、皆さんものすごくいっぱい思いがあるじゃないですか。実はこうしてほしいんだというのがあるじゃないですか。これはやはりみんなが新政府と一緒になって、参画してその仕組みづくりをやっていくということを、まさにこの2009年の今日からみんなと一緒にやっていくということが必要じゃないかと思います。
ですから私は今ここで、こういうことをやったら絶対にうまくいきますよなんてそんなことは自分自身も思いつかないです。ただ少なくともこういうポイントだけは押さえて、そしてそれは決して政府に任せるだけではなしに、みんなでとにかくやっていこうじゃないか、提案していこうじゃないか。おそらく今の新政府というのは、住民の方々の提案についても多分いろいろと受け入れて、そしてそれを踏まえて仕組みづくりをやってくれるという期待というのは、私は持っています。
天野
皆さん、元官僚だった宮本さんのほうから、皆さんが市民運動で政府に反対に提案していかなければ、待っていては何も変わりませんよということを言われたと思います。
それでは五十嵐先生から、あと3人の方も含めて、最後に何か言っておきたいことを短くお願いします。
五十嵐
今後皆さんの意見をお寄せいただくためにも少し話題を提供したいと思います。
私どもが法改正を考えるときに、多分みんなが心の中に描いているのは国の権力を地方に持ってきて分権ではなくて地域主権にしなければいけないという構造で考えると、しかしどうも行政だけではだめだから第三者機関、審議会などを行政の配分とチェック機関としての信頼、水系委員会のようなものを考える。一方、非常に重要なことを忘れていて、日本の憲法における最高の決定機関は議会なんです。地方議会を、国会という議会をどのように続けるかということと併せて、分権の仕組みを考えるのはなかなか難しいなというのが一つです。
さらに先ほど言いましたように今までほとんど御用機関であった裁判所も恐らく行政よりもはるかに、少なくとも鞆の浦とか泡瀬干潟などを見るとかなり先進的なことを言っている。議会が怒るかもしれないという人々も住んでいる。改めて三権の中でどういう構造が一番いいかということを考えたいのが一つ。
二番目は河川法を含めて今までの道路法、公共事業に関する法律はどういう法律かということを環境や関係機関の意見を聞くことという条項を入れましたけれども、やはりどこかで環境アセスメントを見たいです。これだけやればやるだけのお膳立ての工事、基本的には公共事業推進法だろうと。だから最終的に止められないということがありますね。今私どもが考えている公共事業コントロール法、すべての法律と正反対です。公共事業を中止させる手続きを考えようという判断でいいということです。
そうすると今の河川法を少し手入れすれば何とかなるかというと、完璧に別なことを考えなければならないかもしれないなと。それはどういう法律かということです。それは先ほどのアメリカから言われたああいう感じの手続きです。
三番目、これが最大の問題で、どうすればいいかよくわからないのですが、今私は法律だけを話題にしていますが、実は第一線の国と自治体の関係が、ご承知のとおり、国の事業に関しては自治体が直轄負担金を払う。自治体の事業に対しては国の交付金を払うという構造の中で、いわゆる政・官・財、癒着の原点はそこにある。地方自治体がどうしてもやめられないのは、補助金をもらっている。今日は田中さんがいらっしゃいますけれども、まさにあそこで暴露したように100億円のダムのうち70億か80億円ぐらいは国から来るということですから、逆から言えば20億円を払えば100億円の事業ができるということですから、財政の関係をどうするかということも変えないと、いわゆる法律上のシステムだけが変えられる。
八ッ場ダムはメディアも、ものすごくヒートアップしていますが、前原さんが八ッ場ダムをやめると言ったときに、石原慎太郎、あるいは埼玉県知事、あるいは千葉県、みんな直轄負担金を返せと言った。これが脅しになるかもしれないと思って言ったんでしょうけど、前原さんはあっさり返すと言ったものだからすれ違いですが、しかし本当に返すべきことだろうか。もしそうだとすれば地方自治体に対しても不要になったものについて国の支払った補助金を返せという論理があり得るわけで、そうするとどういう構造になってくるのだろうかというのが一つ。
もう一つマニフェストを見ると、直轄負担金を廃止と言っています。これはいいんですけれども、補助金については一括交付金ということを言っています。この一括交付金が公共事業の範囲内だけであるのか、あらゆる補助金を全部一括交付するのか、こういうことによっても国と地方自治体の関係は怪しくなる。基本的な枠組みが変わる。つまり国家の行政秩序、あるいは国家や地方裁判所も全部含めて作り直すような話が、ダム一つの中に含まれている。だからこう考えていくとやはり国家が考えることだという感じがしていて、当面の問題と中長期的な国家の改造を両方考えていくと非常にいいトレーニングを私たちもしていかなければいけないだろうと思います。
今本
私はこの機会にぜひ考えてほしいのは治水と利水の在り方です。これはダムを造る論拠にもなっていますが、私はこれまでの治水の在り方を根本的に変えてほしい。つまり基本高水を出発点とするような治水ではだめなんだと。どんな洪水がいつくるかもわからない。それに耐え得るのが治水だと。そうすると私はダムというのは、およそ治水では主役足り得ないと考えています。そういう基本になるところをきちんと整理して、そうでないと地域によって、「うちはダムがほしい」、「うちは要らん」ということでばらばらにやられたら、その地域だけでやってくれる別の国でしたらいいですが、国税を使う限りはある程度の統一がいるのではないかなと思っています。
それから利水について、これまでは水需要が増える、増えるということでやってきましたが、私はそういうやり方ではなく、水需要を管理してやるという、これは淀川水系委員会で散々議論して出てきた結果なんですけれども、これまでは水資源の開発ですが、これを水需要の管理に変えようというのが淀川の言い分です。そういう基本的な考え方のところを、ぜひこの機会に考え直してもらいたいと希望しています。
沖
五十嵐先生の話で、流域の水をどうするか。宮本さんからまず流域で水を考えて決めるような仕組みが必要ではないかという話がありましたが、私も実はそういうことをずっと考えていまして、どういう機関になるのかな、水議会みたいなものが必要なのかなと思いましたら、先ほど五十嵐先生がおっしゃったとおり、それはやはり地方議会が本来は担うべき役割で、そこで、ではなぜ水の話が出てこないかというと、やはり水に関する関心が一般の方はあまりにも低いんじゃないか。
例えば八ッ場も今はニュースをにぎわせていますけれども、それは景気問題、あるいは社会問題としての在り方であって、利根川の水をどうするかという、お話をうかがいましたが、そういう観点からの取り上げられ方はほとんどないわけです。四点については出てきますけれども、ではそこに関して我々はどのくらいの安全度を求めるのだろうか、それが果たしてそのコストや風景の負担に見合うのだろうかといった話はまったく出てこなくて、この政治、今言っていた革命の、結果としては群馬県の自民党の仇討ちみたいなものとしておもしろおかしく取り上げる。そういう形でしか話題にならないというのが水問題の不幸で、例えば五十嵐先生が公共事業見直しのシンボルとしてダムと言うのは、私にとっては嬉しくもあり、つまらなくもあります。嬉しいのは、ダムというものをきちんと考えていただけるのでいいと思うのですが、やはり水の問題として考えていただきたいというのが、水を専門としている者としての気持ちが少しあって、話題になるのはいいのだけれども、その向こうにある治水と利水で、実は相反するところもたくさんあるわけです。地域の県民で費用負担率でもめるとかいろいろなことがたくさんあるわけで、そういうことを踏まえて議論が進むといいなと私は思っています。
それから財源を地方に移すという話がありました。地方負担だと。これはそのとおりだと思うのですが、個人的には私は都会に住んでいますので、地方のことは地方でやれというほうがかなり得なんですが、果たしてそれでいいのだろうかという思いが少しあります。道路と川が違うというのは、昼ごはんの時に少し出てきたんですけれども、道路は造ればその場で喜んでもらえるところがあったり、あるいは目に見えるのでいいんですけれども、防災というのは普段役に立たないんですね。水の施設もあるいは利水ですらもう、普段は役に立たないということになる。そうすると自分の在任期間中に問題がなければいいじゃないかということで、どんどん後回しにしがちになってくるのではないかということがあるわけです。そんなわけで不必要なダム、不必要な公共工事は要らないのですが、必要な公共工事もあるのに、すぐにやらなくなってしまう。もう既にそういう時代になっているかもしれませんが、そういうふうになるということが、多分地方への分権あるいは財源移譲ということでどんどん起こってくるだろうと私は思います。それがいい、悪いというのは私の判断ではなくて、皆さんがぜひ周囲をご覧になって、どっちのほうがいいんだろうかと考えていただいて、また教えていただければと思います。
宮本
最後に言い訳だけちょっとさせてください。私、先ほどからこんな高いところからえらそうなことを言っているようですけど、先ほどそこで長島町の加藤さんに久しぶり会いました。現場でがんがんやってきた仲です。そうしたら「おう、宮本。お前ここまで来るのに頭、剃ってきたか」と言われて、頭、剃らずに来てしまいまして、何とも返事のしようがなかったんですけれども、私もいろいろなこと、川のこと、ダムのこと、真剣にやっているつもりではありますけれども、私は何といっても、この今日のテーマである長良川河口堰の最後の建設所長です。これについては、私はもう逃げも隠れもできないんで、死ぬまでこの長良川河口堰の建設所長であるという事実は、これはもう看板を、看板といいますかラベルか何か知りませんけれども、張っていきますので、昔のことを忘れて何かえらそうなことを言っとるなということは決してありませんので、私の心の中には長良川河口堰の建設所長であったという責任は常に持っているつもりですので、ちょっと最後に一言、言い訳だけさせていただきます。
天野
私はあまり泣かない人間なんですけど、さっき泣いてしまったのは、隣に宮本さんがいたからでした。この人とこんな話し合いができるようなことが自分が生きている間に、市民と官僚ができるなんてすてきだなと思いました。これが現役の官僚だったらよかったのになと、ちょっと思いました。彼が長良川河口堰の所長である時に、こんな話ができればよかった。私も宮本さんも戦争ばかり、金丸建設大臣が田中角栄総理の時に計画した計画をもう一度、1988年に動かしたのがこの計画であった。だから私たちは大きな与党と野党の戦争の中に放り込まれてあっちとこっちでやり合った。だけれども、やはり先ほど沖先生が言われたように、一番必要なことはその地域の人たちが自分で治水と利水を考えることです。でも治水で造るダムで、皆さん、八ッ場ダムもそうですけれども、多くのダムの現地で64年も50年以上もダムが造られていません。なぜでしょうか。その間に堤防を造らなくてよかったんでしょうか。堤防を造る費用は県、大きなダムを造る費用は国土交通省。そのお金がほしくて建設業界が動く。そんなことで造られてきたのが間違いであったということが、今、私はこの席上で議論されたと思っています。ありがとうございます。
それで前原さんだって1月に来て、皆さん、18ページを見てください。1月に来て長良川河口堰も間違っていたし、木曽川導水路も要らないと言っています。それでも彼は今日ここに来られなかった。なぜか。それはやはり政治です。国土交通大臣としてダムを止めなければならないけれども、JALも潰れないようにしてあげなければならない。空港をどうするんだ、道路はどうするんだ、高速道路の無料化なんて言っているけれども本当にできるのかと言われたときに、官僚たちに助けてもらわなければならないから、官僚が一番いやがっている長良川河口堰に来られなかったと思うのです。そのために彼が本当に来られるようにするためには、私たちが支えていなければ、この政権が本当に無駄な公共事業をやめるということは実現できません。
でも政治家の中で、たった一人でそんなことをやった人間が、今日、1時からここにずっと来てくれています。自分の特別秘書が建設省からやってきた土木部長と結託して、自分に「田中さん、三つ目のダムを止めたら、あんたいろいろなこと、やってもらえないよ」と言ってやられたときに、田中さんは一人で脱ダム宣言を全国にぶっ放したのです。私、昨日、大阪の新党日本の事務所に行ってきました。「脱ダムは脱ムダなんだ」と書いていました。その田中さんが、今日は、私たちの所に来てくださいました。そして前原さんは来られなかったけれども、菅さんはこんなメッセージを皆さんにくれています。その二人の政治家のメッセージを聞きたいと思います。
今日は皆さん、壇上の方々もありがとうございました。