中間答申
「公共事業を一から見直すために」



2000年12月15日
公共事業を国民の手に取り戻す委員会


「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」への諮問事項

2000年10月12日
民主党代表 鳩山由紀夫

 先の総選挙においてわれわれ民主党は、公共事業の抜本改革を公約の柱の一つに掲げま
した。その主張は一定の理解を得ることができたと考えていますが、来るべき来夏の参議
院選挙に向け、より一層の具体化が求められています。
 一方で自民党は、選挙結果を受けて見せかけの公共事業見直しを打ち出しましたが、そ
こには量的な削減や事業の効率化といった視点はなく、評価するに値しません。
 われわれ民主党は、目前に迫った本格的な少子高齢社会の到来に備えて財政を健全化す
るとともに、貴重な自然環境を将来世代に引き継ぐために、公共事業の本質的な改革が必
要不可欠であると考えています。
 そこでこの度、「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を設置するにあたり、同委員会
に対し、以下の事項についての専門的な検討・報告をしていただくよう諮問いたします。


《諮問事項》

(1)“全総”の抜本的な見直しなど、これまで公共事業神話に基づいて進められてきた、
国の根幹に関わる公共事業のあり方について
(2)今回の省庁再編に欠けている、公共事業発注官庁のあるべき姿について
(3)無駄な公共事業の削減や公共事業の効率化など、公共事業費を5年で2割、10年で
3割削減するための具体的方策について
(4)将来に引き継ぐべき貴重な自然環境を再生させるための方策について、具体的には、
例えば計画中のダムの全面的見直しとその代替案としての「緑のダム構想」の実現可
能性及び理論的裏付けについて
(5)公共事業のあり方を定める「公共事業基本法」など、これまで取り組んできた「公
共事業コントロール法」を基礎とした、公共事業に係る体系的な法整備について、
(6)公共事業の中止によって当該地域が被る損失の補償と新たな地域振興策について
(7)その他必要な施策について

以 上


民主党代表の特別諮問機関
「公共事業を国民の手に取り戻す委員会―日本の自然を再生させるために」

主旨
 わが国は温帯にあって、四つの海に囲まれ、海から生まれる一滴が列島の山々にあたり、
川をつくり、その流れが海に注ぐために美しい四季を持つ、世界でも最も美しい、過ごし
やすい国であった。
 その美しい日本が、ここ百年の異常なスピードでの開発で哀れな姿になっていることは、
わが国民の誰もが憂えるところである。
 民主党は1997年より「公共事業コントロール法」を市民の提案で立法し、日本の自然がも
う後のないところまで追いつめられていること、その原因である不必要な公共事業によっ
て日本の財政が破綻していることを広めてきた。
 あと数カ月で21世紀を迎える今、わが日本に必要とされる思想は「21世紀は20世紀と
同じスピードで開発しない。21世紀は国民の理解を得て、自然を再生する世紀にしなけれ
ばならない。」というものであろう。
 しかし、日本の現状は、自民党とそれを支える政権の枠組みでは、21世紀の入り口の
2001年1月6日に、省庁改革と称して、巨大な開発官庁である「国土交通省」が出現し
てしまうのである。
 今こそ、21世紀に向けての、日本列島のあるべき姿についての指針を発表するために、「公
共事業を国民の手に取り戻す委員会―日本の自然を再生させるために」を結成する。

座長  五十嵐敬喜  法政大学法学部教授(公共事業論)

委員  天野礼子   アウトドアライター
    宇井純    沖縄大学法経学部教授(環境科学)
    荏原明則   神戸学院大学法学部教授(行政法)
    大熊孝    新潟大学工学部教授(河川工学)
    河野昭一   京都大学名誉教授(植物生態学)
    島津暉之   東京都環境科学研究所研究員
    藤原信    宇都宮大学名誉教授(森林計画学)
    高田直俊   大阪市立大学工学部教授(土木工学)
    保母武彦   島根大学法学部教授(財政学)
    松永勝彦   北海道大学水産学部教授(水産環境科学)
    水口憲哉   東京水産大学助教授(資源維持論)
    山口二郎   北海道大学法学部教授(政治学)
                     (以上、五十音順)


〜中間答申にあたって〜
 「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」は2000年10月12日に民主党鳩山由起
夫代表より、公共事業の全般的かつ根源的な改革に関わる諮問を受け、まず11月1日に
「緑のダム構想」を意見書として提出した。
 今回、これに引き続き、諮問のうち「全国総合開発計画の見直し」「公共事業発注官庁の
あるべき姿」「無駄な公共事業の削減、効率化」「公共事業の中止に伴い当該地域が被る損
失補償あり方」について、中間答申を行うものである。
なお全体の構成は、必ずしもこの順序ではなく、公共事業の問題点と改革の方向性が理
解しやすい形に整理している。また今回の中間答申に盛り込まれなかった「公共事業コン
トロール法」については、引き続き委員会において検討を行い、2001年の適当な時期
に答申を行う予定としている。
 貴党におかれては「緑のダム構想」と同様に、この中間答申の実現に向けて努力される
よう、委員会として強く希望するものである。

2000年12月15日

民主党代表
鳩山由起夫 殿

公共事業を国民の手に取り戻す委員会
座長  五十嵐 敬喜


中間答申「公共事業を一から見直すために」(要旨)

戦後復興から高度成長期にかけて、道路や橋の整備などの公共事業は、社会的な便益を
もたらし、かつ経済を向上させるものとして「善」なるものの代表とされてきた。しかし
現在の公共事業は財政や環境に余りにも過大な負担をかけ、日本破滅の最大要因となって
いる。委員会は、この深刻な危機感を共有し、以下の根源的な改革案を民主党に答申する。

1.公共事業の問題点(略)

2.「止まらない公共事業」のシステム(略)

3.危機を回避する当面の措置
 公共事業によってもたらされる弊害は余りに大きく、国民生活を崩壊させる危険性があ
る。そこで現在計画中及び建設中の事業全てについて一旦休止し、一から再検討を求める。
なおこの際に障害となる現行法については、速やかに改正することを提案する。また長年
にわたり公共事業計画を前提に生活に大きな影響を受けてきた地域住民に対する一定の財
政による支援を提案する。

4.システムの抜本的改革
(1)私たちの生き方(略)
(2)計画制度の廃止と新たな法体系の構築
国土総合開発法、国土利用計画法、その特別法である三大都市圏整備法、地方開発・
振興関係法、特定地域開発関係法、さらには民活法、リゾート法等は、国土の基本的デ
ッサンを描くという基本的な役割を失っており、これらを全て廃止する。その上で分権
型社会を前提とした計画制度に改める。
また省庁の縦割り以外に存在理由のない16本の公共事業関係長期計画も廃止し、上
記基本デッサンに対応した計画制度に改める。

(3)公共事業計画廃止後の制度設計の視点
@地方分権
公共事業の決定権と財源は地方に委ねる。そのための改革は「一括交付金制度」の創
設等の補助金改革から始める。また同時に国の行う公共事業を限定する。
A総量の抑制・財源制度改革
公共事業の予算抑制を法律によって規定する。また財源の殆どを公債発行に委ねるこ
とを禁止する。道路、空港等の特定財源制度は廃止する。
B議会の関与
全体計画、個別事業の立案、予算化について、議会の関与を義務づける。
C継続的見直し制度の創設
「時間」という客観的基準や、社会経済状況、住民意識の変化に応じて不断に見直し
していくシステムを構築する。また事業終了後においても、その効果・影響を評価し、
次の事業をより良いものへと改善していくシステムを導入する。

(4)「国営事業」と「市民事業」(21世紀型公共事業システムの提案)
@従来の公共事業のうち、国が行う公共事業を「国営事業」(仮称)、自治体が行う公共事
業を「市民事業」(仮称)と名づけ、明確に区分する。
A国営事業については、全体的な事業計画、個別事業の個所付け、予算、事前と事後の評
価など、すべて国会で審議し、議決する。
B市民事業は、従来の縦割りを根本から改めて、都市計画(マスタープラン)に全ての事
業計画及びその着工優先順位を盛り込む。マスタープランは住民参加によって作られ、
議会で議決される。これにより住民が将来の町の姿がイメージできるようになる。マス
タープランの進捗状況は、専門家と住民によって構成されている、町づくり審議会(仮
称)で点検され、その結果はすべて公開される。事業の執行などに問題が発生した場合
の責任体制を作る。
C複数の自治体に関わる土地利用規制や事業は、原則として関係する複数自治体が、さら
に大規模の場合には、都道府県が調整する。都道府県は、市町村と同様な内容を、同様
な手続により、マスタープランを策定する。
D国はみずから国営事業を担当するほか、さらに都道府県で調整つかないものについて調
整を行う。
Eこの間、この国営事業と市民事業という新しいシステムを執行していくにふさわしい財
源の配分制度を創設する。
Fこの間、この新しいシステムを実施に移すために、都市計画法を始めとして、道路法、
河川法などの個別公共事業法が改正し、また必要な法律を制定する。

(5)「公共事業基本法(仮称)」の制定と「国土交通省の第二次行政改革」
これまでの民主党の「公共事業コントロール法」をバージョンアップさせる「公共事業
基本法(仮称)」の制定、国土交通省の更なる改革について、委員会は引き続き検討を進め
る。

5.地域の自立(ポスト公共事業社会のあり方)
公共事業への依存構造からの脱却の方法を地域が自分で考えていくシステムを提案する
が、これまでの長い慣行から抜け出るためには、当初、国や自治体による支援が必要であ
る。この支援策として第一次産業に対するデカップリング政策の拡大と強化、環境回復産
業の促進、高齢者や女性が参加できる産業の発掘等が必要であり、委員会は先の「公共事
業基本法」と共に、「地域自立支援法」(仮称)の検討を進める。

以上



―中間答申 目次―
はじめに
1.公共事業の問題点
(1)無駄な公共事業
(2)過大な財政負担
(3)環境問題
(4)政官業の癒着と民主主義の空洞化
(5)国と自治体、そして経済の公共事業依存

2.「止まらない公共事業」のシステム
(1)全国総合開発と中長期計画
(2)個別法の論点
(3)財源の改革

3.危機を回避する当面の措置
(1)現在行われている事業の全面的見直し
(2)事業中止に伴う影響への対応

4.システムの抜本的改革
(1)私たちの生き方
(2)計画制度の抜本見直し
(3)公共事業計画廃止後の制度設計の視点
(4)「国営事業」と「市民事業」(21世紀型公共事業システムの提案)
(5)公共事業「基本法」の制定と「国土交通省の第二次行政改革」

5.地域の自立(ポスト公共事業社会のあり方)


はじめに

戦後復興から高度成長期にかけて、道路や橋の整備などの公共事業は、社会的な便益を
もたらし、かつ経済を向上させるものとして「善」なるものの代表とされてきた。しかし
その後、一定のストックが蓄積されるに従い、新たな道路や橋の建設は産業の生産性の向
上や国民生活の質的向上にも結びつかなくなり、また経済波及効果や雇用効果もかってと
は比較にならないくらいに小さなものとなった。むしろ近年は財政や環境に余りにも過大
な負担を与えるものとして認識されるようになっている。かくして今日本には、公共事業
の転換を求める声が満ち溢れるようになってきた。
しかし周知のように日本の公共事業は、政治・経済・社会・文化などの一切にかかわり、
実際に改革を実現することは、ほとんど日本社会のあり方そのものを転換する事と、同義
であり、容易なことではない。
それでもなお誰かが一刻も早く、そして全力でこれに取り組まなければ、この国の病は
ますます深刻になる。委員会は、この日本の危機に対して非常に深刻な憂いを共有してお
り、現在の公共事業を続ければ、日本という国も国民生活も破滅を免れないと考えている。  
貴党におかれては、日本社会そして何より国民一人一人の生活の危機を救うという使命
感をもって、全力を挙げて公共事業の改革に取り組まれるよう期待する。

1.公共事業の問題点

(1)無駄な公共事業
2000年夏から冬にかけて、亀井・自民党政調会長の提唱により、自民・公明・保守
の与党は公共事業の見直しを行い、その結果無駄な公共事業として200を越える事業を中
止した。しかし連日の報道を見ればわかるように、ダム、干拓、空港などあらゆる分野の
事業に、いまだ膨大な無駄な事業が存在している事が明らかになっている(自民党の改革
については、本章最後の【自民党の「抜本見直し」に関する委員会の批判】参照)。見直し
対象となっていない事業の中にも、今から何十年も前に計画されたもので、時代の変化や
住民のニーズとかけ離れているものが存在している。また高度成長を前提にした過大な需
要予測に基づいたものや、そもそも何のために作るか目的さえはっきりしない事業も多数
存在する。何よりもまずこれが是正されるべきであろう。

(2)過大な財政負担
 公共事業には莫大な費用がかかる。特に日本では計画当初の事業費が、認可を受けやす
いように甘く見積もられており、実際に事業を行ってみるとその数倍にも事業費が膨らん
でしまうことが常態化している。そして、これら過大で非効率な投資が積もり積もって、
今や645兆円(特殊法人に対する財政投融資を含めるとさらに巨額になる)にまで達し
た日本の借金の主役となってしまったのである。この借金について,故小渕総理大臣は「世
界一の借金王」と自嘲したが、自嘲で終わる程度の問題でないことは明らかである。
 大蔵省の資料では、来年度は新発債・借換債を含めて約100兆円程度の国債発行が見
込まれており、財投債という新たな国債が加わると130兆円程度を市場から借りること
になる。これは1%利率が上昇しただけで1.3兆円の財政負担が増加することを意味し、
景気回復による財政再建という政府の主張が、全く妥当性を欠いていることは明らかであ
る。こうしたまやかしに加えて、必然性の乏しい公共事業を重ねて更に財政状況を悪化さ
せる政府に対する信用が崩壊したときに、恐怖は始まる。「まやかし」と「その場しのぎ」
しかできない政府の発行する通貨を誰が信用するだろうか。通貨の価値は暴落し、円安と
インフレが国民生活に襲いかかり、一方で急激な財政緊縮が始まる。そして社会的な弱者
は、生きる権利さえ奪われかねない状況に突入するのである。
正直な財政状況の説明と併せて、公共事業の大幅縮減は、社会的弱者のみならず国民生
活全般を守るために、一刻も猶予のできない対策である。

(3)環境問題
 前回の意見書「緑のダム構想」でも指摘したように、日本の川はダムによって、自然な
環境が悉く破壊されてしまっている。それだけでなく、環境という視点から日本の国土を
見ると、山や海そして空気、また農村部だけでなく都市部でも、あらゆる自然と地域が今
危機に瀕し、しかも二度と復元できない不可逆的な崩壊が進行している事がわかる。人間
も自然連鎖の中の一部であり、また食糧も衣服もパソコンも人間自身では何一つ生み出せ
ず、全て自然からの恩恵を利用して生活を維持していることを考えれば、環境問題は生存
問題そのものである。公共事業によるこれ以上の環境破壊は、人類の生存そのものを脅か
しかねないのである

これらがさしあたり、公共事業について、見直し論が台頭してきた理由である。しかし、
それだけでなく、国民は実はこれらの無駄を生み出している日本社会の構造にも同時に疑
いを持ち始めたという事を忘れてはならない。その象徴的なものとしてここでは以下の二
点を挙げる。

(4)政官業の癒着と民主主義の空洞化
 公共事業を政治学的に見ると、何よりも指摘されなければならないのは、日本ではこれ
をテコに強大な政官業の癒着構造が作られたという事である。公共事業が飛躍的に拡大さ
れた結果、建設業界は自民党の最大の支持基盤となり、そのために常に建設業界に有利な
政策判断が繰り返されてきた。政治は既得権益を持つものによって引きずりまわされ、そ
のような力の無い市民の政治的無力感を強め、政治離れを引き起こした。このことが、さ
らに既得権益者の政治的パワーを高めるという悪循環を生み出し、民主主義は次第に空洞
化してきた。

(5)地域経済の公共事業依存
 バブル崩壊以降、日本は深刻な不況に陥った。これに対して一貫して取られてきた政策
が、公共事業の拡大である。特に橋本内閣による財政構造改革の失敗以降、小渕、森内閣
は、際限のないバラマキ政策を取った。その結果、ごく一部の都市部を除き、地域経済は
金太郎飴的に、過度の財政依存構造になっている。これでは、先に財政の項で触れたほど
のクラッシュが起きなくても、財政がほんの少し緊縮すれば、日本の地域経済は崩壊しか
ねない。そしてこれが日本のほとんどの地域経済で同時に起これば、結局は日本全体の経
済そして財政が破綻するのである。
国民の多くは日本経済が、あたかも痛みを抑えるために麻薬を打ち続けるように、公共
事業を注入され続けた結果、今や本当の重症の麻薬患者になってしまった事を知っている。
一刻も早くこの地獄から抜けなければ、日本はボロボロの体になってしまうであろう。

(参考)自民党の「抜本見直し」に関する委員会の批判
自民党は2000年12月、233の公共事業(その後、復活したものや、役所独自に中止した
ものもある)を中止するという公共事業見直しを行った。これは公共事業の不倒神話を崩
したという意味で評価できる面もあるが、膨大な公共事業全体からみれば中止したのはご
くわずかであり、まだ無駄な公共事業が数多く残っている。
自民党はこの公共事業見直しにあたって、先に北海道が提唱した「時のアセスメント」
にならい、見直し基準に「時間」という尺度を採用した。しかしこの政策評価法を充分に
機能させるためには、@行政の裁量性を制限するため、基準を「法律」で明確にするA対
象となる事業を全て明らかにするB基準に該当するものはすべて自動的に中止にし、改め
て復活する場合は行政内部の決定ではなく、住民の代表である議会が審議するD議会は復
活するか否か、専門家、関係住民等の意見を広く聴取する、などが必要である。
このような観点から見ると、自民党の改革は、見直し対象事業の選定、中止・復活の判
断が、一部の行政と政治家の「談合」によって行われており、全てにおいていかにも自民
党的な不透明なものだといわなければならない。その代表的な例が「吉野川第十堰改築事
業」であり、政治的な妥協の末、いつでも事業が復活できる「白紙」という結論になって
いる。また「公共事業の総量は減らさない」「公共事業推進エンジンが内部化されている現
在の構造に手を付けない」という事を前提としたものであり、看板だけの見直しに終わっ
ており、単なる選挙対策に過ぎない。

2.「止まらない公共事業」のシステム

麻薬漬けからはいでて健康になるためにはどうしたら良いか。さすがに自民党も、この
まま無駄な公共事業を放置しておく事はできないとして、先に見たように200以上の事
業を中止した。しかし、この改革には先に述べたように絶対的な欠陥があり、無駄な公共
事業を次から次へと生みだすシステムには手を付けていない。また公共事業の数は建設省
だけを見ても5万件を越えると言われており、このようなモグラタタキの手法には限界が
ある。それゆえ、私たちは、これら巨大な無駄を作り出しているシステムの改革に取り組
まなければならない。

公共事業は計画に基づき予算化され、法律に基づいて執行されていく。公共事業の改革
とは、単に個別の公共事業を中止すると言うことではなく、その計画、法律、そして予算
というシステム全体を変える事なのである

(1) 全国総合開発と中長期計画
公共事業は全国的なデザインを行う全国総合開発計画と、これを個別的に事業化する長期
計画によって計画化されている。

@全国総合開発計画
公共事業に関する最も基本的な計画は、国土総合開発法に基づく「全国総合開発計画」で
あり、現在は昨年策定された第5次計画(2000年から2015年)が実施されている。
この第5次計画は「地域の自立の促進と美しい国土の創造」という、これまでの開発一本
槍の国土政策を転換する新しい理念を掲げたが、その中身は政官業の強力な運動によって、
首都機能移転、14000キロの高規格幹線道路、現在ある3本の橋のほかに更に四国と
本州・九州を結ぶ2本の長大橋を架ける海峡プロジェクト、超高速で走るリニアモーター
カーなどの超大型公共事業が満載され、その費用も前の「四全総」の「1000兆円」を
はるかに越える莫大なもの(余りにも巨額なため、数字を明示する事ができなかったとい
われている)となった。このような政官業の力が働く限り、理念と中身の根本的矛盾は避
けられないため、政府部内でも「最後の全総」にしたいという声が強くなった。

A公共事業関係長期計画


全国総合開発計画が公共事業の全体的デッサンとすれば、公共事業関係長期計画は個別
事業の実施計画である。現在16本の長期計画があるが、これらも大きな問題を抱えるよ
うになった。
この計画の多くが「○○緊急措置法」というように、戦後まもなく、日本が物資や事業
費用などないないづくしの時に、とりあえず、急いで道路などの社会資本を作らなければ
ならないという理由で一時的な緊急対策として作られたものであった。しかし道路の「第
12次計画」に代表されるように、昭和33年から平成14年まで、実に40年以上も継
続する、恒久的な「緊急措置」に変質してしまったのである。
また表の治水、下水道、海洋事業などを見ると、前計画比が40%、30%増という異常
な伸び率の増加となっている事、事業総額が道路の78兆円、治水の24兆円という巨額
なものとなっている事など、現在の日本の経済財政状況からは許されない計画が決定され
ていることがわかる。

計画は、省別局別に策定されている。つまり道路は建設省の道路局が、治水は同じく建
設省の河川局が担当するというように、省と局、さらに細部では課や係まで細分化されて
いて、公共事業の縦割りが構造化され、そして既得権益化するようになった。時代が変化
し、国民のニーズも根本的に変わったにもかかわらず、何十年にもわたってシェアが変わ
らないというような硬直した事態となっているのは、この縦割り構造が原因である。
最大の問題が、官僚は一度計画した事業を100%消化する事を自己目的としている事
である。これが「一度走り出したら、止まらない」という公共事業の大きな要因となって
いる。
計画は、ダムによる水没、あるいは道路建設による立ち退きなどを見ればわかるように
国民の権利と義務に大きな影響を与え、且つ事業費用も莫大なものである。そして言うま
でもなく費用は国民の税金である。したがって、どういう計画を作るか、国民の代表であ
る国会で議論する、あるいはどのようにその計画を実施するかを法律で定めるというのは、
法治国家を標榜する国では、当たり前のことである。ところがこれら計画は、漁港一つを
除いて、すべて「閣議」で決定されており、また空港整備などについては、根拠法さえ制
定されていないのである。これが、官僚が公共事業をほしいままにしている原因である。

(2)個別法の論点
公共事業は計画を立てただけでは実施できない。実際の事業は道路法、河川法などの個
別の法律に基づいて実施される。そこでこの法律についてみると、ここでも、事態は深刻
である。



@複雑で理解できない法律によって、国民は拘束され、税金を使われる
たとえば道路についてみてみよう。上の表は道路に関する法の構造を見たものであるが、
この表だけで、いろいろな角度から何十という法律が制定されている事がわかる。もう少
し詳しく言うと、実は法律は法律だけでなく、政令、施行規則、そして通達などと一体に
なって始めて実効性のあるものになり、これを集めると道路だけで「道路六法」などとし
て一冊の本になるくらいの膨大なものとなる。さらに、これに補助金を加えると、今やそ
の全体を把握している人は一部の官僚を除いてほとんどいない。法律は本来国民生活に密
接に関わり、国民の福利厚生を高めるために存在する。しかし現在の過度に複雑で難解な
法律は、国民生活にとけ込むことなく、遙か遠くにあって国民を疎外している。その結果
が官僚の裁量性の拡大である。これがまず、官僚支配の秘密であった。
誰にも理解できないような複雑な法体系が、公共事業の世界をブラックボックスにし、
一方で、「個所づけ」にみられるように、官僚が自由に事業を実施するか否か、あるいはど
の事業を実施するかなどの裁量性を認めていて、この裁量性が政治と結びついて、日本独
特の不透明な世界が築かれるのである。

A中止も不服申立もできないシステム
公共事業について、国の力が余りにも強大である事から地方分権が、また民間でも実施
可能な事業まで国や自治体が独占している事から市場を重視する規制緩和が、いわれるよ
うになった。しかし、これらは掛け声だけで、改革はほとんど進まず実際にはいまだ強力
な中央集権、官僚丸抱えシステムが温存されている。それはいまだ、公共事業法が地方議
会を関与させていない事、或いは市民に対して、不服申立や訴訟という異議申立の手段を
ほとんど認めていないという事実を挙げるだけで充分だろう。
公共事業法は「中止」という選択肢を持たない、ただ前進あるのみの法なのであり、「一
度計画されたら絶対に中止されない」という公共事業の「不倒神話」は、法律によって保
証されているのであった。これでは国民の信頼を得る事はできない。法律の簡素化は勿論、
地方分権や規制緩和を進めると共に、事業に対する参加や異議申し立てを認める法律を作
ることが不可欠である。

(3)財源に必要な改革点
公共事業を実施主体ごとに見ると、国の行う直轄事業、自治体が行う事業に対して国が
補助する補助事業、そして自治体が独自に行う単独事業の三種類がある。これを財源別に
みると、税金(一般会計や特別会計など)と借金(建設国債、地方債及び郵貯・年金等を
財源とする財投)がある。誰がどのような事業を、またどのような資金で行えば良いか、
複雑であるが、次の諸点はすぐに改善されなければならない。

@公共事業は財政危機の大きな原因となっている。景気対策の名によるバラまき策がこれ
に拍車をかけている。財政を立て直すため、「量的な削減計画」を立てなければならない。
なお、この関係でいえば国及び自治体とも、「借金の上限を定める」という方法も考えら
れる。
A補助金はかねてから、縦割り行政によって事業がバラバラに分断される事、補助基準に
よって全国画一的なものしかできなくなっている事、あるいは自治体が補助金欲しさに
霞が関に陳情合戦を行うようになり他方陳情を受ける側の霞が関はこれを奇貨として自
治体支配を強める事などが、指摘されてきた。

更に最近は、国の直轄事業や補助金事業のうち、自治体が負担する部分について、国が
交付税により事後的に補填するような事もあって、自治体はさほどの負担なしに事業が
できるため、受益と負担の関係がわからなくなり、何でも陳情さえすれば良いといった
風潮を生み出したといわれている。


3.危機を回避する当面の措置
以上のような点を見れば、公共事業の改革は、今や党派を問わず、全国民的な課題とな
っていることは明らかである。しかし、システムの改革に到るまでに、現に行われている
一つ一つの事業に対する対策を立てておかなければ混乱が生まれるだけであろう。そこで
当面ここでは二段階に分けて、対策を考えておきたい。

(1)現在行われている事業の「全面的見直し」
当委員会は、先にダム事業について、将来計画されている事業とすでに建設されている
事業について、一旦すべてストップすることを提唱した。事業の必要性を、官僚でない第
三者で改めて検証しようというのである。これは環境保全意識の高まり、近代型治水技術
への反省、水・電力需要の変化などを背景にしたものであった。
そして委員会では、この対象を更に拡大し、同様の措置を公共事業の全体に拡大すべき
だという結論に到った。公共事業が我が国そのものを危機に陥れており、財政・環境等の
絶対的制約を考えれば、一度立ち止まって今後その事業を継続すべきか否かを、皆で冷静
に検討を行う必要があると考えるからである。

(2)事業中止に伴う影響への対応
計画段階にある事業に限らず、建設中さらには既に運用されている事業をストップすれ
ば、周囲にさまざまな影響が出てくるのは当然である。そこでトラブルをできるだけ少な
くするために、ストップするための環境を整備しておく必要がある。
既に開始されている事業を中止した場合、・・執行済み事業費及び完成済み施設をどう
するか・受注事業者に対する損害賠償・事業執行を前提として生活を組み立てている住民
に対する補償の問題が発生する。

・執行済み事業費は、それぞれの事業者が負担する以外にない。多くの公共事業の場合、
借入金で事業費が賄われているため、事業完成の有無に関係なく事業者が償還義務を負っ
ている。問題は国から地方に対して交付された補助金であり、「補助金等に係る予算の執行
の適正化に関する法律」によれば、「各省各庁の長は、事業者が補助金の交付内容や条件に
違反したときは、決定を取消す事ができ、その際事業者は年10.95%の加算金をつけて
国に納付しなければならない」とされている。自治体が、無駄だとわかっている事業でも
続行しなければならない事情の一つとしてこの返還義務があった。しかしこれは本末転倒
の議論であり、「中止に正当な理由がある場合は、返還義務が発生しない」というように同
法を改正すべきである。
同じように、完成済み施設については地域の創意工夫を取り入れ、柔軟に活用すること
が適当であり、この場合も補助金の使用目的が制限されている場合には、この制限を外し
他の目的に援用する事ができる旨の法改正が必要である。

・既に公共事業発注を受けている建設業者に対する補償は、一般的には事業者側が工事
請負契約違反の責任が問われると見なければならない。しかし、工事の進捗状況などに応
じて、再検討期間の凍結や他の事業について優先受注権を付与するなどの工夫で、負担を
軽減する事も可能であろう。それでも損害がカバーできない場合は、国直轄、地方単独事
業の場合はそれぞれの事業者、補助事業の場合は国、地方間で共同して損害を賠償しなけ
ればならない。

・住民補償はケースごとに複雑である。これまでの理論や事例では、例えばダム事業が
計画決定されただけでは損害が発生したとは言えず、さらに進んで事業決定がなされ、例
えばその土地では3階以上の家を建てる事ができなくなるといった制限が住民に対して発
生しても、それでも損害は無いとして補償請求はできないというのが通説であった。
しかし、この間何十年という長い年月が経過するうちに、立ち退き補償をもらって移転
した人、まだ現地にとどまる人などさまざまなケースが発生し、住民はどのような立場に
立つにせよ、それぞれ筆舌に尽くし難い苦難を強いられてきていた。「ダム中止決定」をす
るという事は「すでに受け取った補償費の返還義務は発生するのか」「いまだ受領していな
い住民は補償を請求する事ができるか」といった深刻な問題に答えるということなのであ
り、さらに「事業を前提として設計されていた住民の生活・町づくり」を、「事業のない生
活・町づくり」に転換していくという最も困難な問題を引き受けていくという事なのであ
る。
この分野では、通説を乗り越える、新しい立法が必要である。そこでは、すでに補償金
を受領している人に対する返還義務の免除、いまだ受領していない人に対する、例えば慰
謝料、あるいは生活援助など何らかの名目による支払いを考慮しなければならない。
なお、事業中止後の生活・町の再建策については、後に「公共事業に依存しない自立し
た地域」の章で一括して検討する。

4.システムの抜本的改革
(1) 私たちの生き方
これまでの公共事業は、抜本的に改革されなければならない。法律、予算、組識などが
改革の対象であるが、それにはまず第一に、現在の公共事業システムには私たちの生き方
が反映されていたということを認めなければならない。したがって、まず問われるべきは、
今後私たちはどのように生きていくかという事であり、新しい制度もその哲学の上に構築
されるのである。
「20世紀とはどういう時代であったか」、公共事業の観点から振り返ってみよう。それ
はまず、経済成長至上主義、経済的豊かさが最大の幸せであるという価値観の世界であっ
た。便利さや効率あるいはスピードだけを追いかける姿勢もそれと共通している。しかし
今、改めて考えるべきは、戦後必死になって取り組んできた「経済成長」「生産性の向上」
「効率」「便利」が、本当に私たちを幸せにしたのかどうかということである。
戦後の急激な経済の成長や技術の発達は、そのスピードが余りに速かったために、本来
の目的である「人間の幸福」とうまく結びついていない。高度経済成長の掛け声と共に、
自らの家族、地域などを置き去りにして、ただひたすら会社のために働き、自然との触れ
合い、楽しい友人達との交流、美しく生きて、安心して死んでいくといった「人間の幸福」
を放棄してきたのである。いつの間にか経済成長や技術発達という「手段」が目的となっ
てしまった戦後であった。この辺で一度立ち止まって、今ある社会システムや技術を如何
に使いこなして私たちが幸せになれるのか、さらに改めて私たちの幸福とは何なのかを確
認する必要がある。
同時に私たちを取り巻く自然環境は、飽くなき物理的豊かさを求めることを許さなくな
ったことに気がつかなければならない。私たちはもう私たちの子供に自信を持ってプレゼ
ントする事のできる本当の自然というものを何一つ持っていないのである。
また莫大な公共事業を支えてきた財政は既に破綻してしまっているのであり、私たちの
子供は、政府や自治体から何らサービスを受け取る事ができないまま、ただひたすら借金
を返済し続けなければならないのだ。
そして最も悔やまれる事は、このような事態になった事に対して、日本では誰一人、責
任を取る人がいないということである。
昨今、まさに世紀末にふさわしく、子供たちによる異常な犯罪が噴出しているのは、こ
の私たち大人の世界の無責任という現象と無縁ではない。私たちは将来の世代の誰もが保
障されるべき、普通の生活や生存の権利さえも奪っているのかもしれない。

21世紀。もう私たちは、便利さ、効率そしてスピードだけを優先させる、経済価値至
上主義から脱却しなければならない。また、間違った選択をした場合には責任を取るとい
う社会にしなければならない。経済至上主義に変わるどのような価値を選ぶか。また、ど
うすればモラルの行き渡る世界になるのか。それは今すぐ、一義的な回答が与えられるも
のではない。またそれは上から、あるいは誰かから与えられるものではなく、国民一人一
人が、人間として、主権者として、一つ一つ創っていくべきものである。
それゆえ、21世紀の制度は、このような国民の価値の変化に対応するべく、国民に選
択の自由をあたえ、かつ同時に選択の責任を問うものとして設計されなければならないの
である。
私たち委員会は、国民がこのような私たちの主張を理解し、支持してくれることを信じ
ている。

(2)計画制度の廃止と新たな法体系の構築
公共事業の基本デッサンは、全国総合開発計画及びこれと対立した概念による「国土利
用計画」、その特別法である三大都市圏整備法、地方開発・振興関係法、特定地域開発関係
法を基幹として、さらには民活法、リゾート法が入り組み、全く基本デッサンの機能を果
たさない状態となっている。またそれぞれが開発促進を内在化しているため、公共事業が
永遠に続かざるを得ない状況となっている。これらを全て廃止し、地方分権を基本とした、
基本デッサンとして機能する法体系を新たに構築すべきである。
省庁の縦割り以外に存在理由のない16本の公共事業関係長期計画も廃止し、上記基本デ
ッサンに対応した計画制度に改めるべきである。

(3)公共事業計画廃止後の制度設計の視点
私たちは21世紀型公共事業の制度設計の基本哲学として、経済至上主義からの脱却と、
選択の自由と選択の責任を掲げた。これを実現するための論点は次の通りである。

・地方分権 〜財源の移譲と国の事業の限定〜
無駄な事業は、公共事業が霞が関で仕切られるため地元で財政負担を意識できないこと、
全国画一的に執行されるため環境や地域の文化・歴史がなおざりにされる事から生まれる。
したがって、公共事業の決定権と財源は地方に委ねられなければならない。それは@事
業の初期段階から住民が直接的参加する事ができ、住民の意思を反映した事業の選択を可
能にするA霞が関の縦割りから解放されることによって、従来個別に行われていた事業の
無駄を避け、また相乗効果を狙った効率的な事業を行う事ができるB入札を含めた事業執
行に関して、直接負担者である住民が監視できるC身近な事業決定・執行は透明性を向上
させ、利権的な政治力の関与を抑制できるD住民の参加・協力は、事業コストの引き下げ
を促進する、等のメリットがある。
公共事業における地方分権は、まず補助金改革から始めるべきである。補助金は中央省
庁の縦割り行政を波及させているだけでなく、申請事務経費が膨大となり、かつ全国一律・
過度な基準への適合を強制する事によって事業コストを増大させている。これらの弊害を
排除するために、補助金の統合化及び単純な配布基準による一括交付制度を設けるべきで
ある。
この補助金の改革と並行して、国の行う事業と自治体の行う事業を明確に区分する必要
がある。現在、国と自治体の役割分担は極めて複雑であり、しかも国が自治体の行う単独
事業までコントロールできるようになっている。このままでは補助金改革を行っても、自
治体の自治、したがって国民の選択を確保する事は困難であろう。
そこで私たちは、国と自治体の行うべき公共事業を、明確に区分する事を提案したい。
国はいかに工夫しても自治体には担えない事業や、他国との関係上国が行わなければなら
ない、基幹国際空港、基幹貿易港湾、高速道路等に限定し、これは国が自己完結的に事業
を行い、残りの事業はすべて自治体の自治に委ね、国は一切関与しないという事にする。

総量の抑制・財源制度改革 〜特定財源制度の廃止〜
我が国の公共事業予算は、明らかに過大である。対GDP比で見ると、欧米先進各国が
約2〜3%であるのに対し、我が国は6%を超えている。既に欧米各国に比べて極めて厳
しい財政状況にある中で、今後も2〜3倍もの事業量を維持することは到底許されないで
あろう。従って私たちは、公共事業の総量を抑制する方法を考えなければならない。
総量の抑制は様々な手法で実現する事ができるが、緊急にかつ分かりやすいものとする
ためには、橋本財政改革において用いられた法律(財政構造改革法)による総量抑制の義
務づけなども適当であろう。
また公共事業の費用を賄うために行われる野放図な公債発行は抑制されなければならず、
そのために公債で事業費の全額を賄うという現在の方法を禁止することを検討すべきであ
る。道路、空港等の特定財源制度は弊害が大きく、早急に廃止すべきである。

・議会の関与 
公共事業は巨額の税金を投入するにも関わらず、現在国会を始めとして、自治体の議会
もほとんど関与できない。事業は行政が行うべきものであり、議会が関与すると、何かと
政治的に利用され、公平性が歪められるとか、議会も、何も関与できないというわけでは
なく、予算審議という形で関わっているというのが、その理由だが、前者は議員が裏で関
与する方がより陰湿であること、後者は膨大な予算から道路やダムなど一つ一つの事業を
取り出して審議できない事を知った上での詭弁であった。国民の選択という観点から見て、
公共事業における議会の不存在は最大の欠陥であり、早急に改善される必要がある。税金
の使途を決定できるのは、国民・住民の代表である議会のみだというのは、今では揺るぎ
ない近代国家の原則である。

・継続的見直し制度の創設
公共事業には、事業開始から完成するまで何十年も時間がかかるものがある。事業を不
断にみなおすシステムがなければ、これらの事業はほとんどが無駄な事業になってしまう
であろう。そこで「時間」という客観的基準や、社会経済状況、住民意識の変化に応じて
不断に見直ししていくシステムを構築する必要がある。また事業終了後においても、その
効果・影響を評価し、次の事業をより良いものへと改善していくシステムも導入すべきで
ある。


(4)「国営事業」と「市民事業」(21世紀型公共事業システムの提案)
以上のような観点から、私たちは21世紀の公共事業のシステムとして、新しい制度を
提案する。

・従来の公共事業のうち、国が行う公共事業を「国営事業(仮称)」、自治体が行う公共事
業を「市民事業(仮称)」と名づけ、明確に区分する。
・国営事業については、全体的な事業計画、個別事業の個所付け、予算、事前と事後の評
価など、すべて国会で審議し、議決する。
・市民事業については、まず市町村のマスタープランに、町づくりの目標、土地利用の規
制などと共に、市民事業を計画化する。この場合補助金の統合化や廃止、そして一般財
源化に伴い、事業選択は全て自治体、即ち住民によって行われる。マスタープランは住
民参加によって作り、議会で議決する。マスタープランの進捗状況は、専門家と住民に
よって構成されている、町づくり審議会(仮称)で点検し、その結果はすべて公開する。
事業の執行などに問題が発生した場合の責任体制も作る。
・複数の自治体に関わる土地利用規制や事業は、原則として関係する複数自治体が、さら
に大規模の場合には、都道府県が調整する。都道府県は、市町村と同様な内容を、同様
な手続により、マスタープランを策定する。
・国はみずから国営事業を担当するほか、さらに都道府県で調整つかないもののみについ
て調整を行う。
・この間、この国営事業と市民事業という新しいシステムを執行していくにふさわしい財
源の配分制度を創設する。
・この間、この新しいシステムを実施に移すために、都市計画法を始めとして、道路法、
河川法などの個別公共事業法を改正し、必要な法律を制定する。


(5)「公共事業基本法」の制定と「国土交通省の第二次行政改革」
21世紀のシステムを実施していくためには、改革の全体像をデッサンする「公共事業
基本法」(仮称)の制定が必要であり、それはいずれ国土交通省の更なる改革を不可避とす
る。委員会はこれに関して引き続き検討を進める。

5.地域の自立(ポスト公共事業社会のあり方)
20世紀の日本の社会を地域の視点から眺めてみると、日本は実に重い病気に罹ってい
る事が良くわかる。例えば、今や地方は何処でも建設業が基幹産業になってしまったとい
う一点だけで証明十分であろう。公共事業なしには、地方は今や生きていけない。
「国営事業と市民事業」の提案は、これから脱却するための処方箋である。しかし、ど
のように処方箋を書こうとも、患者自身がみずから健康になろうと努力しなければ、健康
になる事はできない。
私たちの提案は、基本的には脱却の方法を自分で考えていくシステムを提案するという
ものであるが、多くの国民や自治体が、国に、公共事業に依存するというこれまでの長い
慣行から抜け出るためには、当初、国や自治体による支援が必要である。
第一に、公共事業は大規模なものから、地域の生活に根ざした小規模なものに切り替え
なければならない。
第二に、地域は、「コミュニテイ・ビジネス」など、地域産業の育成、福祉部門の充実、
都市と農村の交流など持続可能な自前の産業を持たなければならない。
第三に、新たな産業と雇用機会の開発が進むにつれて、徐々に建設業従事者を新産業部
門に移行できるようにしなければならない。
このような移行を確実にするために、・地方分権の推進・第一次産業に対するデカップ
リングの強化・地域産業の復活と強化・ボランティアや高齢者が参加できるシステム・小
さな産業の支援・環境回復産業の支援、等を内容とする「地域自立支援法(仮称)」を提案
する。私たち委員会は先の「公共事業基本法」と共に、あわせて「地域自立支援法」(仮称)
の検討を進める。

新たな「この国のありかた」づくりは、公共事業に依存しない地域経済の構築から始め
るべきである。地方において公共事業の弊害という縮小要因と雇用の確保という維持要因
の二律背反の潮流が激しくぶつかっている。時代の方向性や財政、環境という制約要因を
考えれば、最終的には公共事業依存型地域経済は終焉するであろう。しかし結論を得る前
に、我が国が崩壊する可能性も否定できない。
公共事業に依存しないと言う新たな「この国のありかた」を提唱する中で、我が国の破
滅を回避し、そして安心して暮らせる将来の姿を示して閉塞感を払拭していくことが、社
会のリーダーたる政治の努めであると、私たちは考える。
 


ホームへ戻る