川辺川ダム解決へ「熊本モデル」を

潮谷熊本県知事への手紙

天野礼子


 潮谷義子知事様。川辺川ダム問題に正面から取り組もうとされている知事の真摯な姿
勢に敬意を表します。

 中央政界や欧米諸国では河川を取り巻く潮流が大きく変革しつつあり、それをお伝え
したく筆を執らせていただきました。

 自民党の国土交通部会は、11月6日にヨーロッパの専門家を招いて「川を蛇行させる
」ことや、「あふれてもよい治水」の勉強会を開催しました。このことは自民党が大型
ダムを推進していても財政難で予算はつかない。それよりも地元の川の再自然化に口を
きいてあげた方が、地元の建設業者も喜ぶし、NGOからの落選運動に逢うこともない
と考えはじめたのではないかと私は見ています。小泉改革に「自然再生」が入ったから
でしょう。 アメリカでは93年のミシシッピ川の洪水時に、ヨーロッパでは93、95、97
年のライン川などの洪水時に、「これまでは治水によかれと考えられて進んできた」川
の直線化などが、治水にはかえってよくなかったことが反省されました。そのため川の
「再自然化」が各国で進められていて、「環境への負荷」が大きすぎたダムの見直しも
行われています。

  これまでの一世紀の開発の無理を癒そうというのが世界の潮流なのです。
  ところで、川辺川ダムの推進論などに使われている水害などですが、これは第一次大
戦から第二次大戦後までの薪炭しか市民のエネルギー源がなかった時に、わが国の水源
の広葉樹林がかつてなく乱伐された上に、針葉樹の大造林が行われ、その後はスーパー
林道などの開発が進んだことで、水源林が異常に保水力を落としていた時に起こってい
ます。日本の森はあの時から伐られておらず、かつてほどではないにせよ、保水力を回
復しています。

  “脱ダム宣言”の田中・長野県知事は12月3日に「財政の現状」を発表しました。県
民一人当たり借金が74万円、平成15年には貯金はゼロになり、財政再建団体に転落する
と明らかにし、長野オリンピック時などの過去の過大な公共事業投資が借入金として負
の財産になっていることを開示したのです。

  もうダムなどの大型公共事業は、彼の理念だけではなく、財政的にも不可能であり、
「公共」の名に値しなくなっているのです。

  鳥取県の片山知事は県営中部ダムを中止しましたが、これも財政的な見直しがきっか
けでした。前知事時代からのダム推進を、本当に関係市町村は欲しがっているかと問う
て、どうやら県の土木課がやりたかっただけとわかり、知事はまず建設現地へ入って、
これまでの県の姿勢を頭を垂れてあやまり、関係職員の首をすっかりすげかえて、新担
当者に地元の交渉を預けるというスタイルをとって解決に導いたのでした。

  北海道の千歳川放水路問題では、円卓会議の開催を呼びかけてNGOから総スカンを
食っていた北海道開発庁に、助け舟を出したのは堀知事でした。

97年1月に「時のアセス」を発言し、円卓会議が拒否されたと見るや、財政難の中で
も「千歳川流域治水対策検討委員会」を作って研究者たちの知恵を借り、NGOから
の意見も聴取して、放水路断念を決定しました。実は財政難からやめたいというのが
本音だったのです。

 球磨川のアユは、3匹で1メートルと日本一の金看板です。日本三大急流の水量
は、上流にダムが一つしかないため保てているのでしょう。市房ダムから瀬戸石ダム
までの、川にとっては一番重要な中流域にダムがなく、おまけに、日本一の清流と環
境庁が折り紙をつける川辺川が流入してきて、上流の市房ダムからの雨のたびに出る
濁りを希釈してくれてもいるからです。川辺川はまさに、日本一の球磨川にとって、
生命線といえましょう。

 近年はアユの冷水病が各地の漁協を悩ませています。最近わかった解決のための最
大のポイントは"天然のアユ"の力を取り戻させるということでした。球磨川は、漁協
の努力と河川局の魚道の改良によって、冷水病被害の最も小さな川です。天然アユの
力を信じた漁政が成功しているのです。

 しかし川辺川ダムを造ると、これまでの努力がすべて台なしになってしまうでしょ
う。

 潮谷知事は、知事の生き様を見ていた県民によって誕生したと思っています。球磨
川は、熊本県人の、いえ日本国民の"母なる川"ですが、潮谷知事こそは熊本県の"母"
でありましょう。その知事に求められているものは、日本の川における一番新しい
「熊本モデル」としての川辺川ダム問題解決と考えます。

 その意味で、知事が提唱された住民大会は、一度で終了させず、成田空港問題解決
に向けて千葉県も汗をかいた成田円卓会議のように、じっくりと時間をかけて進めて
下さい。血の半分が九州女の私も、応援させていただきます。

           


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