公共事業の本当の見直しはこうやる
週刊金曜日 2000年9月15日 No.331 より許可を得て転載
小川明雄(ジャーナリスト)
自民党など与党三党の公共事業の見直しは、ニュース枯れの八月に重なり、新聞各紙の一
面をにぎわした。しかし、国民の多くはいま、羊頭狗肉だった、と失望している。
「二一世紀環境委員会」が一九九八年に発表した「緊急に中止・廃止すべきムダな公共事
業一〇〇」にリストアップされた事業のほとんどは、中止の決定を免れた。中止になった事
業の大半は、国営中海干拓のように立ち往生していた事業のいわば在庫処分だった。
見直しの試金石とされたのは吉野川可動堰と関西空港第二期事業だった。しかし、可動堰
は、中止とはならず、住民投票で否定された現計画が実施される可能性を多分に残した「白
紙化」だった。関空第二期にいたっては、途中で見直しの対象からはずされた。
しかも、「ワースト一〇〇」に入らなかった、首都移転計画、日本道路公団が各地で進め
る高速道路建設、新幹線建設計画などけた違いにカネのかかる巨大計画は、はじめから見直
しの対象にもならなかった。
さらに、与党三党は中止の検討対象として二三三件を取り上げたが、だれでも知るように
実際に中止が発表されたのは中海など二四事業にすぎない。二三三事業がすべて中止されて
も節約できる総事業規模は二兆八千億円だ。それぞれの事業に平均一〇年かかるとして、年
間二千八百億円にすぎない。しかも、そのカネをほかの事業に使うのだから、何おか言わん
やである。
この発表には、分子だけを誇大に見せ、分母を発表しないリックがある。日本で建設中あ
るいは計画中の公共事業は八〇〇〇件を超えている。また、日本の中央政府と自治体が使う
公共事業費は、年間で約五〇兆円である。与党三党が誇らしげに発表した分子と三党が隠し
た分母を比べてみれば、羊頭狗肉という言葉も怒りだすインチキぶりである。
国民の多くは、身の回りの見聞や、マスコミの調査報道から、全国に費用対効果に疑問
がある、あるいは環境破壊などの理由で、中止すべき公共事業が到るところにあることを知
っている。しかし、どうすれば、不必要な公共事業を本当に減らせるのかが見えにくく、い
らだちを募らせている。
ここに欧米諸国がやっている手法を参考に、日本からムダな公共事業を追放する本当の見
直し案を提案してみたい。まず、日本は当然のことだが、法治国家である。あらゆる公共事
業は法律とそれに基づく予算によって実施されている。したがって、本当の見直しを実行す
るには、法律と予算を変えたり、廃止しなければならない。
日本における公共事業の大本の法律は、「国土総合開発法」(一九五〇年)である。この法
律に基づいて、おおむね期間一〇年の「全国総合開発計画」がつくられてきた。現在は、一
九九八年に発表されたた「第五次全国総合開発計画」(五全総)である。
五全総には、首都移転、太平洋ベルト地帯に匹敵する新たな「国土軸」を三本つくり、そ
こに新幹線、高速道路、港湾、空港、リニア新幹線、情報ハイウエー、六つの巨大海峡横断
橋など建設し、ダムをつくりと盛りだくさんの計画が詰め込まれていた。日本は、過去の公
共事業の乱費によって借金づけになっているのに、と国民をあきれさせた計画だ。
全総と関連づけて策定されるのが、これも一〇年間の「公共投資基本計画」である。いろ
いろ経緯があって、現在は一九九五年から二〇〇〇七年度までの六三〇兆円である。ちなみ
に、一九八〇年代の一〇年間で約二三〇兆円、一九九〇年代が約四三〇兆円だ。低経済成長
時代に、国民が気絶しそうな乱費ぶりである。財政が破綻しなけらば不思議である。
しかも、「国土総合開発法」と関連法令によって、全総は閣議決定、「公共投資基本計画」
にいたっては閣議了解で決まってしまう。納税者たる国民はおろか、国会さえ審議すること
ができない仕組みになっている。ここに日本の公共事業が暴走する根本の欠陥がある。まる
で、ブレーキのない車である。
いま、世界を見回しても、こんな詳細な長期計画をつくる国はない。かってのソ連に多少
似たものがあったが、形式的とはいえ日本の国会にあたる機関に報告し、承認を得ていた。
日本の長期計画は、昔のソ連も真っ青という非民主的な策定手続きで生まれるのだ。
したがって、本当の公共事業の見直しを行うには、基本的な役割を二十年前に終えた「国
土総合開発法」を廃止する。当然、現行の五全総と「公共投資基本計画」も廃止だ。
次ぎに問題になるのが、全総を実施するための十六におよぶ中期計画である。道路、治水、
港湾、空港、下水道など原則として五ヵ年計画となっている。多くの中期計画は一九五〇年
代にスタートしている。すでに、全総のように大半は役割を終えている。
各計画の根拠法は、例えば道路が「道路整備緊急措置法」となっているように、はじめは
五年間の時限立法だった。ところが、五年ごとに更新され、道路にいたっては現在十二次計
画が進行中である。時限立法が恒久法になっている。立法の精神が踏みにじられてきた。し
かも、漁港計画を除く他の計画は閣議決定ですんでしまう。国会が審議できないシステムは
いくらなんでも時代遅れだ。
中期計画と根拠法を全部廃止してもいい時期に来ている。これは暴論ではない。主要なイ
ンフラは整備された。今後は、住宅、福祉施設、学校など市民に身近な公共事業に絞り込ん
で、資金とともに自治体にまかせればいい。欧米の多くの諸国は基本的にこうした手法をと
っている。
それでは、ショック療法すぎるというのであれば、最低のところ「公共事業基本法」と厳
格な「環境評価法」を国会で成立させなければならない。基本法によって、中期計画を個別
の事業計画とともに国会に提出させ、審議と承認を義務付ける。これで、これまで欠けてい
た、しかし欧米では当たり前の事前審査が可能になる。また、途中の見直しと、事後評価を
義務付け、失敗した事業については、関係者の責任を追及する。
また、「環境評価法」は、米国の「国家環境政策法」(NEPA)を参考に、公共事業の計画
段階から厳格な環境評価を事業者に義務付け、住民参加も保障する。日本の環境法は、事業
が決定してからだから、ほとんど意味がない。
こうして法律と予算を変更したり、なくしたり、時には新法をつくる、というのが、本当
の公共事業の見直しであリ、削減法である。日本の公共事業は、国民全体からみれば、一握
りの政官財複合体の私的な利権に堕ちている。与党三党にこの利権構造破壊を期待できるだ
ろうか。三党の見直し劇を見たあとでは、だれでも答えは「ノー」だろう。
だとすれば、私たち有権者には、公共事業の暴走に歯止めをかけ、財政破綻を防ぎ、私た
ちの生活と自然を守る選択は一つしかない。三党連立政権に退場願うことである。先の衆議
院選挙がその第一歩だった。次ぎは来年の参議院選挙である。そして、真の公共事業見直し
を実行する政党、あるいは、現在の政党の枠を超えた政党連合をつくることだ。
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