DAM OR NO DAM
ヘンク・サエージ
はじめに
ダムは洪水の防止、緩和、水不足への対処、発電と長きに渡ってその有用性を示してきた。ダムは現在の社会になくてはならないものである。しかし、同時にダムは生態学的、社会的、経済学的に深刻な問題を引き起こして来た。結果として我々はダムのジレンマと共に生きなければならないのだ。しかしどのようにダムと生きていくのか。ダムは自然の川や河口を変えてしまっている。意志決定の段階では自然の川の質や価値は構造的に過小評価されてきたが、それが明確になってきた。それと同時にダムではなく水系全体を生かす、すなわちダムではなく、河川全体、流域全体に焦点を当てなければならないのである。ダムは水管理における単なる道具である。ダムを建設することにより重要な環境条件は変えられてしまった。これらの変化が負の効果を生んでいるわけであるが、これは同時に我々は挑戦すべく新たな機会を得たとも言える。すなわち水管理において流れを分断するようなやり方ではなく、統合された水系管理に基づいた総合システム的取り組みが前提条件となるのである。であるから昨今解明されてきた生態系的知識、実践的取り組みがこの水管理においてますます重要となるであろう。そして水系における生態系の発展を促すことは今後可能になる。これからオランダの取り組みを述べよう。
1,ダムと共に生きる
1,1 ダムのジレンマ
一体何が問題なのか。人類は常にその要求に応じて自然を操作してきた。自然の河川や河口はダムや堤防、堰、水門などにより分断されてきた。これらの水系における介入は様々な目的を持って行われた。例えば航行、産業、農業、家庭用水などである。そして社会のさまざまな分野においてこの介入は現実問題を解決する効果的な方法と見なされてきたわけである。しかしながら、この効果はあるセクターにおいては恩恵があるかもしれないが一方で生態系の機能に対しては大きな被害を引き起こしてきたことが最近より鮮明になって来た。この多くの介入により水系全体における効果の差し引き(恩恵と被害)はむしろマイナスとなっていることだろう。だからそこにダムのジレンマがあるのだ。我々の現代社会ではダムはなくてはならない一方でダムは生態系的、社会的、経済的にさまざまな問題を引き起こしているのだ。そして我々はそれと共に生きねばならないのである。
1,2 自然の川の重要性
河川や河口への介入としては様々な目的のものがある。例えば浚渫、航行のために水路をロックしたり曲げたり、安全性のための堤防であったり。その介入の中でも典型的なものがダムである。世界中のダムの数は80何個と言われておりその内の4万5千個が大型ダムである。そして毎年およそ300個のダムが新たに追加されている。ダムは河口も含め、川に作られる。そして世界中で直接的もしくは間接的に河川や河口における問題を生じさせているのである。バランスの取れた決定を下すためには自然の川や河口の特徴や可能性における知識、評価をしっかり持っていることが必要だ。しかし自然の川や河口の質や価値は構造的に過小評価されている。自然の川や河口は計り知れないほどの資産、財産であるのにそれが知られぬままに破壊されているのある。
1,3 なぜ自然の川はそんなにも重要なのか。
まずは自然の川や河口をざっとまとめてみよう。なぜ重要なのか。
* 川は間違いなく水門学的な「水の循環」の一環である。最も根本的なそして重要な機能は地球表面の余分な水を川の流域に沿って排出することである。もし人間が貯水、もしくは潅漑のためにその水を奪うとなればこの重要な機能を阻害することになる。
* 二番目の重要な機能は浸食とそれに関係のある堆積物の移動で、川の下流、デルタ地区においてはこの浸食と堆積の均衡が取れていることが必要である。堆積物の不足は海岸部の浸食を招く。(例えばナイル川のデルタのように)堆積物が大きく運ばれればデルタ地区の成長を促すのである。(例;黄河)
* 川は様々な特有の生命体の運び屋であり、その機能は世界の生物多様性に貢献している。
* 川は魚などの生産物、または水の浄化、この環境下における特有の生命体を移動させるなどのサービスをただで提供してくれる。これらの恩恵が失われるとこれらに取って代わる産物やサービスのコストは莫大なものとなる。例えば水の浄化や安全性確保のための堤防建設にかかる費用を考えて見ればわかる。
* 世界において自然の川が生み出す生産物やサービスは年間1ヘクタール当たり8,000ドルと推定される。
1.4 なぜ河口はとても豊かなのか。
* 河口部に位置するデルタ地区は驚くほど肥沃である。ちょうど陸と海との間に位置し、その背後には港町が広がり川は通常航行のために使われている。
* 河口部はすばらしい食物の宝庫である。肥沃な堆積物がたまっている。
* 河口部には価値の高い汽水域があり、水質は淡水から海水へゆるやかに変化している。
* 典型的な河口部的形態があり、そこには潮の活動のある部分、海水の沼地、干潟、汽水域、そして淡水の部分もある。
* 汽水域においては非常に数多くの有機物質が生まれたり死んだりする。
* この有機物質はむらさき貝やゴカイ、ザル貝のような「フィルターフィーダー」(フィルターの役割の意)によって簡単に消費される。
* 河口は世界でも最も生産性の高い生態系であり、生態学的、経済的にも非常に価値が高く多くの可能性を秘めている。
* これは川が多くの栄養分を運び、それにより河口部は高いレベルでの第一次生産をする事が出来る。
* 河口部は何十億という幼虫を生産し、それにより年間を通しての動物性プランクトンを近隣の沿岸部に提供することとなる。それにより沿岸部はとても肥沃な地帯となるのである。
* 「フィルターフィーダー」によって沿岸部での藻や赤潮の発生を防ぐ。
* 世界の川の平均の生産物や恩恵の出来高は年間1ヘクタール当たり21,000ドルと推定される。
河口部の破壊の経済的打撃を説明するために我が国の例を挙げよう。オランダはライン川とマース川のデルタ地区に位置し、20世紀において我が国の河口部86万6千ヘクタールの内53%にあたる47万ヘクタールが沿岸部の工事により破壊された。そのために自然の生産物やサービスは大きな損失を受け、その額は年間100億ドルと推定される。そしてこれまでの総額としては2200億ドルの損失となる。年間80億ドルの純生産高を得るため、我々は自然の価値を考慮に入れなかったためにこれだけの損失を被ったのである。このように川や河口は隠された資産、財産である。意志決定の段階においてこのような自然の機能はあらゆるところでないがしろにされているのだ。
1,5 人間の介入
ダムを建設もしくは管理することは単一の行動であり得るはずがない。全ての行動の集成はそれぞれの要素の集成より大きな事になってしまう。すなわち結果として例えば安全性、新たな土地、水の浄化、航行の確保のための人間の介入により河川水系は大きく被害を受けたのである。このようにして世界で最も重要な川の60%以上が構造的に分断されたもしくは混沌とした状態に置かれている。我が国においても過去50年間で650のダムが建設された。それぞれのセクターにおいてそれぞれ優先事項というものがあり、そのそれぞれのセクターから他の活動にどのような被害が及ぶか、河川全体にどのような影響が出るか、長い目でみたらどのような被害が出るか等と言うことには決して目を向けられたことはなかった。さらには意志決定段階においては政治的時代遅れ感があった。被害、負の影響のほとんどが数世紀にも渡った間違った活動の結果であった。例えば我が国では500年にも渡って氾濫原を埋め立ててきたが、これが結局は水位をますます高める原因である。長い目でみれば堤防は十分ではない。そこで我々は教訓を学んだ。
ダム建設やその操業のような人間活動は全ての活動の関係を考慮に入れて行われなければならない。それには河川水系全体を眺めること、また長期的な視野を持つことが必要である。
1.6 ダムについて
ダムの元来の目的は洪水に対する安全の確保、貯水、水力発電である。意志決定の段階において重要なのはこれら全ての願いを叶えるためにはダムではなく水系(川や河口)を変えることに気がつかなければならない。であるから我々が最初に注意を払うべきはダムではなく水系そのものなのだ。ダムは水管理におけるただの道具に過ぎないのである。
だからダムを設計したり建設したり管理したりすることは水管理の目的を確認してから考えるべきである。とにかくダムに焦点を当てるのではなく水系とその水資源管理に焦点をあてよう。
2.オランダの事例
2.1 競争より協力
オランダのほとんどの国土は実際ライン川、マース川シェルツ川のデルタに位置している。そしてその60%が海面より低いのである。(平均4メートル)だから我が国は何千キロにも渡る海や川から遮る堤防やダムに囲まれているのである。止むに止まれぬ訳である。過去2000年間においては数々の水との戦いがあり、その被害者は50万人にも及び、また多くの被害もあった。水を伝統的に「敵」と見なしてしまうのも仕方がないだろう。今世紀において我が国は北からも南からも浸食に脅かされた。これをくい止めるために二つの大規模な河川工学を駆使したプロジェクトが完了した。一つは北のズイダージー計画、もう一つは南のデルタプロジェクトである。結果としてすばらしい発展が起こり、予想以上の成果を生んでいる。河川工学者、生態学者や行政の間で競争ではなく協力関係が成立しその結果、水との新たな共生の道にたどり着き、そのような方法は世界でますます広く採択されつつある。そしてその方法とは統合水系管理システムと呼ばれるものである。
2.2 分割化戦力
ズイダージー計画(5000平方キロメートル)の目的は安全性、土地の埋め立て、淡水の確保であった。この計画はその地域を堤防やダムにより13の大小の区域に分割するものであった。その中には4つの埋め立てられたポルダーと9つの湖が含まれている。デルタ計画(4000平方キロメートル)の目的は安全性、塩水対策としての淡水の確保と管理である。7つの河口は12の区画に分けられた。(図3参照のこと。淡水、汽水域、塩水湖、潮管理された河口)これによりシステム毎に管理を変えた分割化が可能となった。選択され開発された現在のポルダーの環境は淡水、汽水域、塩水湖となり分割区域の形成のプロセスの究極的な結果を表している。人間が新たな生態系的環境をセッティングし、その結果風景や土地活用において変化が生まれたのである。
ここで学んだことは:分割化の生態学的インパクト、すなわちそれに続く環境の選択、そして新たなシステムの操業、管理は生態学的、経済学的、社会学的に重要な可能性を秘めている。
2.3 変化
南のデルタ計画、特にハーリングフリート河口部に焦点を当ててみよう。(ライン川の排出口、人工的な塩水湖のグレベリンゲン、潮の管理のされたイースタンシュケルト)デルタ計画は元々は新たな湖は全てライン川の水で満たされることになっていた。その頃はだれもライン川の水がひどく汚染され、新たな湖にひくことができない程になるとは予測しなかったのである。1970年にハーリングフリートが閉じられて以来、何百万トンもの重金属で汚染された堆積物やヘドロがハーリングフリートに蓄積された。そこには生命は皆無に等しくなった。淡水から海水へいきなり変化するため幼虫や魚の行き来はもはや不可能となった。実際、ハーリングフリートは生態学的に見てもはや手のつけようがない状態であった。これに対する抗議運動はだんだん激しさを増していった。我々は何をしているのか。ハーリングフリートは失われたがグレベリンゲンやイースタンシュケルトにおいてこれを繰り返してはいけない。
2.4 塩水湖、敢えておこなった実験
グレベリンゲン湖は1971年に東にグレベリンゲンダムが西にブルーワースダムが完成した時に形成された。結果としてグレベリンゲン河口部は塩水湖にと変わったのだ。湖の水質はとても良く、夏でもセッチ分類の10メートルに当てはまる。そして基本的な生産性は高い。窒素とリン酸が豊富にも関わらず、富栄養化の問題は起こらない。この湖は世界的にも評価の高い湿地として発展している。どうしてこのようなことが起きたのか。塩水湖の特質や過程はまだ良く知られていなかったが「最高の専門家の判断」と「環境適合管理技術」を駆使した結果、最終的には極めて望ましいものとなった。懸念となっていた主となる管理行動は水位の管理、帯水時間、塩度と層状構造、追加の養分と海からの有機物質であった。それに続き、海との繋がりも回復された。そこで起こった展開は生態学的モデル技術を駆使して注意深く研究、観察された。こうすることによりシステムとのある種の「対話」が可能となった。この水管理政策はある一定の環境条件下における自発的発展と呼ばれるものである。
ここにおいてカキ、むらさき貝や脱窒素作用バクテリアが成功の重要な鍵を握っているのである。湖は今や自然保護、レクリエーション、漁業の観点からも重要な湿地として評価されている。そして毎年少なくとも7500万ドルもの利益を上げているのである。
ここにおける重要な教訓は:母なる自然にもっと余地を与えよ。塩水湖には経済的にも生態学的にも幅の広い可能性がある。その選択は時を逃がさず行うべきである。すなわち、変化が起こったらダムの政策や管理において移り変わりの過程が優先されるようにすべきである。ダムや水門は湖の管理上道具として利用できるべきである。
2.5 変わりつつある環境、状況を利用する。
これまでの段階で最も重要な結論は河川工学的計画の設計や管理は単に安全性、貯水、発電のみと言ったある個別の目的のためではいけないという点である。我々は風景の中で起きている移り変わりの過程の重要性を十分に認識する必要がある。そうすれば人間の役割はもっと恩恵のあるものとなる。すなわち教訓としては「変わりつつある状況、環境、状況を利用せよ。」である。
2.6 河口は川と会いたがっている。
前世紀、我々は自然の資源を無駄にして生きてきた。しかし我々がイースタンシュケルトにおいて行った事は歴史上転換点であった。何が起こったのか。元々のデルタプランでは河口部を閉め切って全て淡水湖に変えてしまうというものだった。しかしオランダ人達はハーリングフリートそしてグレベリンゲン(ライン川の河口)が閉め切られたことにとても感情的になっていた。河口部は閉めきって数日後にすでに腐った水へと変化して行った。次第に多くの数の人々が新たな湖はひどく汚染されたライン川の水で満たされていくことに気が付き出した。活動家達は工事を中止し、イースタンシュケルトをダムで閉めきるのを止めるように要求した。当時河川工学者達によると安全性を確保するための唯一の方法はダムとのことだった。議論はますます深刻となり非常に過激なものとなった。環境論者達は潮の活動のある河口部の開放を求めた。安全性か環境か、この二つを巡っての感情的な議論が議会で繰り広げられ、政府はこの計画を再考することを決めた。代替案を巡る政策分析が行われ、そこで採択されたのは「ストームサージバリアー」であった。これは普段は開放しておき、嵐のうねりが起こった時だけ閉じるというものである。コストは高く付いたが海面が何メートルか上昇した時においても対処できるものである。影響としては年に何回か閉めきらなければならないことだけだ。すなわち、「安全性か」、環境かなどという論議は間違っている。「安全性と環境」を議論すべきなのだ。
であるから、ダムが唯一の責任ある解決策であるという言葉も間違っている。ウェスタンシュケルトは堤防を強化することにより安全性は確保され、まだ開放されたままである。イースタンシュケルトとニューウォーターウェイは両方ともストームサージバリアーを持った。しかしハーリングフリートは水門で閉じられている。グレベリンゲンとブリエル湖のみがダムによって閉めきられている。全ての違った形の解決法がデルタ法における安全性の基準を満たしている。すなわち結論としては安全性を確保するには多くの方法があるということだ。我々は自問自答することができるかもしれない。例えば「次回の選択も今のストームサージバリアーにするのか。」そうではないだろう。選択肢としては、ダムの代わりに堤防の強化、淡水湖の代わりに塩水湖、これらは真面目に選択肢として受け止めるべきものであり、コストも安くつくものでもある。
今日オランダ国内において起こっていることは、「可能と思われる場所であればどこででも、可能な限り、汽水域と潮の活動を取り戻す」ことである。すなわち我々は土地造成をしているのではなく再自然化として自然の干潟、河口ををどんどん作っているのである。例えばハーリングフリート河口堰の水門をストームサージバリアーとして使って潮の影響を取り戻すことを試みようとしている。ストームサージバリアーとは基本的には常に開放して嵐の時だけ閉じるというものである。このように操業法を変えたり、もしくはもっとストームサージバリアーを作り安全性を確保すると共にできるだけ多くの場所に潮を取り戻そうとするだろう。水資源管理は全ての望みを叶えなければならない。しかし現在では間違った事が多く行われている。であるから、目先の利益に気を取られることなく、川と河口の重要性、価値をしっかり把握し、河川水系全体を管理することに焦点を当てなければならない。
3,長良川の水系
3,1 私の見た印象
長良川には全ての人間の介入を考慮に入れ、適切な管理母体による流域全体を通してのしっかりとした水系管理が存在しないように見える。水は人間の使用のための資源としか見られていないようだが、生態系の中で重要な役割を果たしている点はどうなっているのか。
長良川河口堰は淡水と海水の間においてはっきりとした線を引いてしまった。それにより汽水域(次第に淡水に海水が混ざっていく部分)が失われてしまった。結果として自然の生産性が減少してしまった。健全な長良川の機能は汽水域と潮の活動を取り戻すことにより果たすことができるようになり、隠れている資産、宝を表に出してやることができるようになる。この宝は今はどこかに行ってしまっているが、必ずや地域の経済、生態系、社会にとって重要な役割を果たすことが出来得るはずである。生態系的に見れば、長良川河口堰は時代遅れである。私と共に日本に来た別の学者も同様のことを言っている。もし長良川の河口部が30kmに渡って再生されたら、自然による生産物の売上高は年間推定で3600万ドルとなるであろう。私が見た限りではそのための選択肢は4つある。
* ダム:現在の状況で残す。
* ダム:淡水湖ではなく塩水湖
* ストームサージバリアー:潮の管理
* 開放のまま、もしくはダムの撤去
もしこのような事(長良川河口堰)が我が国で起こったらどうしていただろうか。多分私としては以下のような助言をすることだろう。
:長良川河口堰計画を真剣に考え直さなければいけない。ダムがあろうが無かろうが、淡水と海水が次第に混ざり合う汽水域を回復する事を考えるべきだ。地域全体の発展や管理を考えて長良川河口堰の役割を考え直さなければならない。そしてその選択が汽水域の回復であるなら、その実施は実験から開始し、慎重に行わなければならない。
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