VOL.17-2


日本の水政策の改革−その新たなる出発
ダニエル・P・ビアード(1997年1月15日)


写真:ビアード氏

 ダニエル・P・ビアード:
 ナショナル・オーデュボン協会副会長。1993年から96年まで、アメリカ合衆国内務省開墾局総裁。 開墾局はアメリカ最大のダム建設機関である。その長として、ビアード氏は、開墾局を水事業建設機関から、 環境に配慮した資源管理を推進する機関へと転身させることに成功した。また、日本においても講演を行ない、 アメリカにおけるダム建設の終焉と、日本の水資源政策の改革の必要性を訴えた。



 この新しい年の初めにあたり、日本の水資源政策の改革のために闘ってきた全ての人々に「おめでとう」と言います。
 最近建設省が3件の水事業の停止を発表したという事は、すばらしい勝利です。それは水資源問題解決の為にそれぞれ異なった方法を提唱してきた活動家、 国会議員そして市民の声を建設省が初めて聞き入れたという事です。現在の日本が抱えている水問題をもっと環境問題に配慮し、 もっと低コストで解決するべきだと主張してきた人達の意見を建設省が聞き入れたという事です。
 これはすばらしい勝利です。改革の為に一生懸命に関ってきた全ての人は、この成し遂げた改革を強く誇りに思うべきです。
 この建設省の発表は、日本のダム建設時代の終了の始まりを表していると弘は考えます。水資源管理の新しい時代の夜明けです。 新しい時代、それはもっと環境問題に配慮し、情報はもっと簡単に入手でき、持続的な水管理をする時代です。
 この建設省の発表は重要な勝利です、とっつても、それで私達の闘いが終わったという事ではありません。建設省は、他の省庁と同様、 市民を無視しようとします。彼等は市民の意見にわずらわされることなく自分達の決定を押し通そうとするでしょう。 さらに、建設省は、川を破壊するのではなく、川を守るのだという人々の意見を聞かないでしょう。
 建設省が望むところは、彼等のやりたい事に誰も□をはさまず、終わりなき水事業を自由に推進した時代にもどることです。
 そのような時代は過ぎ去りました。
 あの建設省の発表は、日本のダム建設推進者達は、物言わぬ市民を、そして限りないダム建設に政治的支持を得ることを、 もはや期待することはできないことを意味しています。 建設省が水問題解決の唯一具体的な方法として巨大ダムの建設を単純に発表した時代は終わったのです。
 私達はダム建設の時代を、持続可能な水資源管理が基本原則である新しい時代へとゆっくりと変えつつあります。 建設省の過去の歴史にもかかわらず、日本がこのような変化を進める手助けをするリーダーになれると私は信じています。
 建設省にも、又アメリカにもダム建設の“栄光の時代”に戻りたがっている人達は大勢います。私はもっと沢山、 もっと巨大な建造物を造りたいという彼等の願望は理解できます。しかしダム建設時代は終わったのです。 それは栄光ある過去の一コマです。私達は過去を尊重し、又そこから学ばなければなりません。


写真:'96長良川DAY 私たちは河口堰を取り囲んだ。 photo 松井 栄介

 私達は未来を見つめる必要があります。未来を見つめたとき、水資源問題が少なくなっているということはありません。 もっと多くの問題があります。世界中の水資源専門家の本当の試練というような問題でしょう。
 将来の議論の対象はダムであってはなりません。ほとんどの場合、ダムは解決への道ではないでしょう。水資源問題解決の為には、 違ったアプローチの仕方で議論するべきです。私達には、市民の強い支持を受け、 日本や第三世界のような発展した経済活動の要求に質、量共に十分な水を供給できるアプローチが必要です。
 私達が最も基本的に変わらなければならないのは、水をみる時に今までとは全く違った見方で、水をみなければならないということです。 ほとんどの近代的な社会では、私達は、私達の生命に対してもつ本当の意味での水から、離れてしまっています。
 あるオブザーバーは次のように述べています。
 「水はただ、水道の蛇口から出てくるだけのものだ、そう思っている人は多い。そして私達は、蛇口の向こうに何があるのか、 ほとんど何も考えていない。自然の川、湿地が持つ複雑な働き、水が育む生命の綾、 このようなものへの尊敬の念を失ってしまった。おしなべて水は資源として人間が消費するだけのものとなり果て、 私達はそれを堰止め、使っては下水に流している」(Sandra Postel、Last Oasis、1994)
 人類と、それを破り巻く世界が生きていくために、水がどのような役割を果たすのか、私達は理解しなけれぱなりません。 水とは、ただ蛇口から出てきたりトイレに流したりする、単なる商品ではないのです。全ての生命を守りつつ、 全世界の多くの人々の要求に応えなければならないということを、知る必要があります。 その上で私達が取る行動、選択する解決法は、目先の要求を越えた深い意味を持つでしょう。
 私達は問題解決の万法を必要としています。持続可能な水資源管理の時代へと私達を導く独創的で思慮に富んだ問題解決方法が必要なのです。 私達はダムのような「ハードな方法」から「ソフトな方法」へと移行すべきです。 「ソフトな方法」とは小規模な事業、節水、リサイクル、水利用効率の向上、現実的な水の価格設定、 構造物によらない代替え手段などに重点をおいた問題解決方法です。
 水資源管理の新たな時代へと動いてる今、新しい手段と新しい情報公開に対する考え方が必要です。 官僚と市民が合理的な決定を下せるようにするためには、情報の運用と普及が、運営、計画、 意志決定を適切に行う上での、重要な手段となるはすです。
 意志決定は、政府だけでするべきものではありません。私達には豊富な情報があります。また市民の中には、 水問題に関する意志決定に参加すべき、知識を持った人が数多くいます。これらの情報や人が、 計画プロセス、意志決定プロセスに活かされなけれぱなりません。 アメリカと日本は、水問題解決の為、最新の技術を取り入れるリーダーの役目を果たしてきました。 アメリカでは水問題を解決する為、新しい技術の幅広い組み合わせを開発してきました。日本では、 新技術の開発、応用で世界を引っぱってきた伝統があります。
 しかし、何らかの理由から、革新的であろうとする伝統は、水問題の解決には及んでいません。両国とも、 水計画の立案者と水問題の解決に携わる者が革新を避け、ずっと前から使われている旧態依然としたやり方に安住しているのです。

写真:'96国際ダムサミットの講演者 photo 伊藤 孝司

 私達は、情報化時代の精神とその高まりを把握し、水問題の解決に応用することをしてきませんでした。
 私達が直面する問題を考える時1940年代に使われた方法論に頼って、1990年代の問題を解決することはできません。 現在の問題を解決するためには、情報化時代の新話術を応用することが必要です。
 しかし、この新たな方向へ踏み出すには、情報が公開されていなけれぱなりません。正確な最新情報が専門家にも市民にも容易に入手、 利用可能な形で保持されていなけれぱ、資源を効果的に管理することはできません。
 建設省のような改府機関は、誰もが情報を入手できるようにしていくべきです。そうすることで、より全体的な議論が保証され、 問題解決への正しい道筋が示されます。したがって政府機関は、 データと情報を共有化することを避けて通れないと私は考えます。パソコンを使えば、インターネットや他の情報源を、 誰もが指一本で利用できるのに、政府機関はどうして情報を隠しておけるでしようか?
 去年の9月、私は長良川を上流から下流まで旅する機会に恵まれました。美しい山々や渓谷、そして川が海にそそぎ込む広い平野部まで訪れました。 私は長良川の美しさとそこに住む人々に感動しました。そこで私は環境庁長官に対し、 長良川を世界遺産として認めるよう強く要望しました。
 先日の建設省の発表は改革への長いいみちのりのほんの第一歩です。私はこの新しい年が、新たな改革を生み、 私達が長良川の美しさとおだやかさを守ることができるようになることを心から祈っております。

(翻訳者 片岡夏美・島田俊夫)


| Page ・2・ | ネットワーク INDEX | HOME |