VOL.20-3


環境・利水・治水のトリプル悪=長良川河口堰の最後の任務
岐阜大学地域科学部教授 粕谷志郎   

 長良川河口堰が運用され、三年の歳月が流れた。この間に、長良川をとりまく情 勢は大きく変化した。中でも、顕著なことは、環境・生態系の破壊と治水目的を失ったことである。

一 .環境と生態系の破壊は深刻
(一)真っ先に起こった汽水域の破壊
 堰下流の生態系は、堰を閉鎖したと同時に始まる物理的環境の変化に直撃され、破壊された。本来、海水と淡水が周期的で微妙な混合を繰り返す汽水域は生物の宝庫である。ところが、堰を閉鎖すると、底層に海水が滞留し、上層を淡水が滑るように流下する層形成(塩分躍層)がまもなく始まった。このため、川底は海水に近い塩分濃度に常時さらされ、下層の塩水層へ酸素が届かなくなり、酸素欠乏となった。さらに、流下する淡水に海水が巻き込まれ、循環流が発生する。その結果、底部では常時、上流方向への逆流が発生する。ヤマトシジミなどの汽水性の動物はたちまち死に絶え、貝殻のみとなった。逆流で運ばれた有機物は消費者も無く、堆積し、腐敗し、ヘドロとなった。
(二)徐々に進行している湖沼化
 流れが停滞し、春から秋にかけて藻類の大発生が繰り返された。今まで、長良川では見られなかったアオコも確認されるようになった。夏期に川底が無酸素状態になることも証明された。メタンガスの発生も秋から春にかけて特に著明になった。川底にヘドロも堆積し始めた。一方、多くの動物が生息し、天然の浄化装置でもあったヨシ原は壊滅的に失われた。アユ、サツキマスなど回遊魚の遡上・降下の妨げは明確で、友釣りの名所、長良川は過去のものとなった。不快害虫で、アレルギー疾患の原因になるユスリカは、桁違いの増加を見せている。長良川はいまやブラックバス釣りの名所となりつつある。

二.売れない工業用水、危険極まりない飲用水
(一)発癌性、感染性の汚染
 工業用水は全く不要だった。いまだに水の買い手は皆無である。また、河口部へは下水・廃水、汚水がそそぎ込み、富栄養化した水には藻類が発生するなど、飲用とするには危険な要素が多すぎる。アオコを形成する藻類の毒素や、有機物の多い水を塩素消毒して発生するトリハロメタンは発癌性が指摘されている。水道水の汚染で集団下痢症を引き起こすクリプトスポリジウム(アメーバのような原虫)は塩素消毒では死なない。
(二)環境ホルモンの脅威
 洗剤に含まれるノニルフェノール、ポリカーボネート樹脂に使用されるビスフェノールA、ポリ塩化ビニールなど各種プラスチックに含まれるフタル酸化合物など、 多くの化学物質が女性ホルモン様作用をなし、ヒトの生殖機能に破壊的影響を与えることが懸念されている。これらが、下水から放出され、河口部へ集中することは火をみるより明らかである。
 ホルモン様作用は、一ppt(一兆分の一)のレベルで作用する。これは、一グラム当たり1ピコグラムのレベルである。目薬の1滴相当で、二0万戸の風呂(各戸五00リッターとして)を汚染できるという非常に微量の世界である。ホルモン作用は、鍵と鍵穴の関係で発現する。小さなキー一つで、大きなクレーン車を始動できるのに似ている。管理者(本当のホルモン)以外の無関係者多数が、合い鍵(環境ホルモン)で無秩序にクレーンをいじりまわせば、どんな大きなビルでも橋でも破壊はまぬがれない。

三.治水上、最も危険な河口堰
(一)治水目的の消滅
 マウンド(河口より十五キロメートルあたりの浅瀬)の浚渫は完了し、治水事業の最も重要な部分は完了した。この時点で、長良川河口堰の治水効果も消滅した。現在の長良川河口堰の役目は、一00%潮止めである。
(二)危険な河口堰
 むしろ、長良川の治水上最も危険な存在として、河口堰そのものがクローズアップされている。高潮が堰柱とゲート板にはねかえされ、破堤を招く恐れが高い。活断層が近くを走るため、地震時は、河口堰本体と従来の堤防との境で破堤する可能性が高い。液状化による堤防の損傷も懸念される。さらに、貯水による堤防の脆弱化がこれらの被害を増幅する恐れも見逃せない。たかが潮止めのために、これほどまでに住民の生命・財産を危険に陥れる「河口堰」とは一体何なのか、問い直されている。

四.それでも、最後に残された長良川河口堰の任務
(一)塩害対策
 皮肉なことに、総合的塩害対策の研究だけが残された任務である。河口堰を武器に、塩害対策を具体的に実験できる。もし、塩害のモニタリングで危険な値が出れば、河口堰を閉じて、対応策を検討できる。すでに各地で実施されている塩害対策を実践、比較し、河口堰以外の塩害対策の効果を実証する必要がある。
(二)急ぎ、ゲート板を撤去せよ
 河口堰に頼らない塩害対策案がまとまれば、晴れて、長良川河口堰の全任務は完了する。急ぎ、ゲート板を撤去し、流域住民の安全を確保する必要がある。


長良川源流部のかます谷で、時代遅れのスキー場開発のために、生命の源になるブナ林が、皆伐されている。いつ人間は開発の愚かさに気づくのか。

Photo by 伊藤孝司


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