VOL.22-1


日本生態学会の要望書が訴えていること
大阪府立大学総合科学部自然環境科学科
(日本生態学会自然保護専門委員)  竹門康弘

 日本生態学会の自然保護専門委員会では、一九九八年の三月から長良川河口堰問題検討グループをつくり、長良川河口堰の今後の運用の在り方について検討してきた。その結果、別記の要望書が、今年3月の自然保護専門委員会において決議され、同月の総会にて承認された。この要望書の主旨は、一九九一年に日本生態学会の総会で決議された「長良川河口堰建設に関する要望書」の訴えが実現されていないので、これを実現するような運用をしてほしいということである。
 一九九一年に訴えたことは、一)長良川生態系に対する河口堰の影響を科学的に評価するためには、河口堰の建設前の現況を近代的な手法で調査するべきであるという点、二)そのためには河口堰本体工事や付帯工事を一時中断して調査するべきであるという点、三)流域的視野に立って長良川生態系の保全に留意してほしいという点であった。一)と二)の必要性については、河口堰の建設前の現況調査が不十分であるとの判断に基づいていた。この事情は、河口堰の閉鎖運用条件下でいくらモニタリング調査を続けても変わらない。
 その一方で、河口堰の影響が顕著であると考えられる事実も多数見出されている。今回の要望書は、汽水域消失の影響、淡水の湛水域出現の影響、河口堰そのものの河道遮断の影響、浚渫ならびに低水護岸工事の影響を指摘している。そして、これらの影響を科学的に評価するためには、汽水域を回復する堰の運用を行ないつつ、長良川生態系の変化について上中流域や河口内湾域も含めたモニタリング調査を実施するべきであると結んでいる。
 これら八年越しの二度の要望書が訴えていることは、長良川生態系に起きている事実を明らかにした上で、改めて河口堰の評価をするべきであるということである。そして、その評価において生態系の保全を重視してくださいということである。前者については、七月一七日に開催された日本自然保護協会主催のシンポジウム「長良川河口堰の影響を科学的に検証する」でも主題とされた基本的な点であり、誰も異論の余地はないと思われる。一方、生態系保全を重視する価値観については、新河川法の文言としても明記されているにもかかわらず、司法や行政にまだまだ浸透していないようである。生態系保全のための技術的手法の確立や、健全な生態系の価値を評価する手法の開発が必要である。こうした方法論が確立していない現状においては、河口堰の運用そのものを試験的に位置付け、生態系の変化に柔軟に対応していくことが望まれる。


1999年7月4日元環境庁長官岩垂寿喜男氏と研究者が長良川を調査

Photo by 伊藤孝司



 環境庁に提出した要望書の写し-   (同文を建設大臣にも提出予定)
                           1999年8月13日

環境庁長官  真鍋賢二 殿

          日本生態学会自然保護専門委員会 委員長 甲山隆司

長良川河口堰の運用に関する要望書

 長良川河口堰は、1988年に着工され、1994年に完成し、1995年からゲート閉鎖する運用が実施されている。日本生態学会は、1991年に長良川生態系の現況把握や河口堰の環境影響評価のための調査が不十分であるとの認識から、「長良川河口堰建設に関する要望書」(資料1)を決議し、関係機関に提出した。その中で、長良川生態系に対する河口堰の影響を評価するためには、一時工事を中断した上で改めて科学的な調査が必要であることを訴えたにもかかわらず、工事は継続し河口堰が完成した。
 周知のとおり、建設省・水資源開発公団によって、ゲート閉鎖運用の影響を評価するためのモニタリング委員会が設置され、現在5年にわたるモニタリングを実施している段階にある。日本生態学会自然保護専門委員会では、モニタリング委員会の資料を含めた既存資料を用いて、長良川河口堰の生態系に与える影響について検討してきた。その結果、河口堰の影響は、汽水域消失の影響、淡水の湛水域出現の影響、河口堰そのものの河道遮断の影響、浚渫ならびに低水護岸工事の影響などに整理された(資料2)。そのうち、生息場所を汽水域に依存するアシハラガニ・アカテガニ・ベンケイガニ・イトメ・ゴカイなどの生物群については、激減ないし分布の縮小が進行中である。また、河口堰や湛水域の存在によって、アユ・サツキマス・シラウオ・モクズガニなどの回遊型動物について通過障害が起きていることも明らかであった。さらに、堰の上下流における底泥の堆積が著しく、底層水の嫌気化を生じており、ヤマトシジミを始めとする底生動物を激減させている。これらの変化は、個々の生物種への影響にとどまらず、長良川の上中流域や河口域の生物群集の多様性の減少に結び付く!
 ただし、河口堰建設の事前事後を比較するための科学的データが不十分であるために、その影響の証明が困難である項目も多いことが分かった。とくに、汽水域生物群集の種多様性、各種動植物の分布や生活史における汽水域の役割、アユやサツキマスといった通し回遊型の魚類の資源量などについて、堰や付帯工事以前の科学的データが欠落していることは深刻である。現状のモニタリング調査は、湛水域を継続的に淡水化するゲート運用を前提としたものであり、このゲート運用の生態系への影響を結論するためには、ゲートの閉鎖以前の状態と比較検討することが不可欠である。日本生態学会は、1991年の要望書においてこのことを指摘したが、残念ながら堰建設ならびに運用以前の調査は十分に実施されなかった。
 これまでのモニタリング資料は、既に河口堰ならびに付帯工事が行われた1994年以後についてのものであり、比較すべき過去のデータが足りない現状に鑑みるならば、ゲートを開放して自然な潮の干満のある汽水域を回復した場合について同様の調査を実施し、両者を比較検討することが不可欠であると考えられる。ただし、汽水域の人為的な消滅が5年間継続した後に、堰の開放を何年間継続すれば汽水域の自然を回復したことになるかは予測困難である。したがって、本委員会としては、とりあえずは同じ5年間程度の期間についてゲート開放時のモニタリングを実施し、変化の過程を記録することが肝要であると判断した。その結果得られる知見は、河口堰の生態系への影響を科学的に評価した上で、将来の河川環境の管理方策を模索していくために、きわめて有用な判断材料となる。
 日本生態学会自然保護専門委員会は、長良川の汽水域の生態系が十分に究明される前に河口堰建設と付帯工事が行なわれたことを憂慮し、1)最低5年間について河口堰のゲートを開放し汽水域の自然の回復を計ることと、2)その期間中に生じる長良川生態系の変化について上中流域や河口内湾域も含めたモニタリング調査を実施していただくこととを要望する。


モニタリング最終年に長良川を救済する
長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子  

 一九九五年七月六日。私がハンスト二三日目で倒れた翌日に、建設省は長良川河口堰のゲートをおろした。
 それから四年目の、今年の七月四日。私たちは長良川でシンポジウム「長良川河口堰運用五年目被害の実態を科学が問う」を行い、その場で元環境庁長官岩垂寿喜男さんが、この日、『長良川の救済を考える議員・OBの会』が、初代環境庁長官大石武一・鯨岡兵輔・北川石松・岩垂氏ら四人の歴代環境庁長官、そして菅直人・土井たか子・不破哲三氏ら野党党首ら26人を呼びかけ人に結成されたことを報告して下さった。
 運用した野坂浩賢建設大臣は、「天野君らの運動にも応えなければ」(何いってやがる)と、「日本のダムで初めてモニタリング期間を五年間つけるので、問題が生じればそこでゲートを上げればよい」といい、「被害は“軽微”と考えられるので運用する」といった。
 しかし、被害は“軽微”どころではなく尽大であるにもかかわらず、モニタリング委員会は機能せず、環境庁も、建設省が水質等の数値が悪くなりそうになるとゲートを解放して調整していることを知っていながら、「数値としては問題がない」のだと、何の手も打とうとはしない。
 そこで、生態学会や日本自然保護協会が、“被害は軽微”でないので、新たなゲートを上げたモニタリングを実行するようにと、建設省・環境庁へ忠言してくださっている。  『議員・OBの会』は、これを国会の場でサポートするものである。
 さて。名環境庁長官北川石松氏は、九二年十二月の閣議後の懇談会の席上で、国土庁長官に対して、「長良川河口堰の建設が始まった八八年には、フルプラン(木曾川水系水資源開発基本計画)は切れとったやないか」と噛みついた。国土庁長官は「三月までに出すから待ってくれ」といったが、それは二年間出なかった。そして出てきたものは「徳山ダムの完成年度を二〇〇一年にするので、二〇〇〇年までの計画では、長良川河口堰は必要」という稚拙なものであった。
 今年になって、この時、各省庁間で、根拠となる資料は公開しないという密約がなされたということが朝日新聞によってあばかれた。
 そして、その水資源計画についてはとうとう、島津さんが書いて下さっているように、国自らが、これまでの計画が過大であったことを認め、需要予測を下方修正した。
 これも、私たちや全国のダム反対運動が、九七年の河川法改訂(まだ不充分であるが)に次いで勝ち取ったものである。具体的には、嶋津暉之さんと、長良川では村瀬惣一さん・在間正史さんの功績であろう。
 そもそも。現在日本にあるダム計画のほとんどは、昭和五八(一九八三)年にオイルショックで高度成長が止まるまでの右肩あがりの利水論と、戦火をあびた河口の都市を修復させるために初めて川の源流部が切られ、その上スギ・ヒノキの大造林が同時に進んで、日本の山林の歴史の中で異例に山が丸裸になっていた昭和三十年後半から四十年代にかけての治水論に立脚しているにすぎない。
 それを一度として見直さなかった罪は建設省にあり、見直さなかった理由は、そこに“政官財癒着腐敗”のまさに中心があったからである。
 九四年に初めて非自民連合政権ができた時、社会党は新進党に建設大臣をわたさず、政官財のトライアングルをつぶすため、五十嵐広三氏を建設大臣とし、長良川を解決し、建設省を変身させようとした。それを「無」にしたのが、同じ党の次の野坂建設大臣で、長良川は、彼によって自民党なるものに売り渡されたのだ。長良川問題が、自民党と私たち国民の双方にとって天王山であったがために、起こってしまった不幸であった。
 しかし私たちは、運用されてもへこたれず、九六年の国際シンポで“世界の潮流”を建設省や日本中のマスコミに伝え、翌年建設省は、百年間使ってきた河川法に初めて「環境」という思想をとり入れるという大改訂をしたのであった。そして全国の十八のダムが見直された。
 長良川は、全国の川を代表して闘い、身代りになって運用され、今、瀕死の状態なのである。
 サツキマスもアユも溯らない。ヘドロは二メートル。水はいらないどころか、たった四年で環境ホルモンまで登場し、水を飲まされている人々に「人体実験だ」と拒否されている。
 もういい、役人のメンツや言い訳は。一日も早く、長良川を救ってやろう。
 モニタリング最終年の今年。私たちは何としても長良川を救済する。
 世界で一番新しい公共事業の潮流を教える国際シンポジウムと長良川DAY(十月十六・十七日)と救済のビデオ作りに、皆さんの最大の協力と働きがほしい。
 私たちは、長良川を救済し、二十一世紀を山河回復の世紀とするのだ。


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