VOL.23-2


“自然との協調”こそ最も近代的で経済的な自然管理法
世界自然保護基金
インターナショナル・リビングウォーターズキャンペーン幹部
ガーナント・マグニン


人々が治水対策の誤りに気づき始めた

 私の住むオランダは、ライン川の河口に広がるデルタ地帯にあって、供給される淡水の約80%をライン川に依存している。国土の半分が海より低い土地にあるため、長いあいだ川や海の水と闘い続けてきた。水にまつわる伝説も多く、たとえば男の子が堤防の穴に指を突っ込んで洪水を防いだ伝説は、治水に関していかに堤防に頼っているかを象徴している。
 ここで本題に入る前に言っておきたいのだが、オランダの国土はもともと低かったわけではなく、砂や沈泥が数千年のあいだに川や海に堆積し、土地は上昇していたのだ。ところが数世紀にわたって人工的に海岸線を維持し、泥炭地の排水を整備し、天然ガスを抜くなどの作業を続けた結果、広範囲での地盤沈下を引き起こし、国土の大半が現在のような「海より低い土地」となってしまった。この海より低い地域を「ポルダー」と呼ぶが、そこでは風車を使って道路脇の水を排水・給水することにより低地で農業ができるようにしている。こうした排水システムや堤防によって、現在のような国土ができあがった。それは過去1000年にわたる“開発”の結果でもある。
 こうした開発によって大量の堆積物が溜まり、川に近い土地は上昇し続け、その結果、川の流れを妨げ、川の容量は減ってしまった。新たな農業地帯が干拓されて農民は繁栄したが、深刻な洪水が日常的になった。そして1820年以来、それが唯一の解決方法だと信じられていたのだが、水をより速く海に流すために、高い堤防を造り、川底の浚渫を行ってきた。
 オランダでの治水対策は、より高い堤防を整備することや、排水装置を強化することに重点が置かれてきたが、最近になってようやく、治水のための古い伝統的な方法は決して正しくはなく、むしろ永久的な問題を一時的に改めたに過ぎないということを人々が理解し始めた。

集水域の再生と管理を

 川の周囲に広がる集水域(氾濫原)は、大雨のときに余分な水を吸い取り、それを少しずつ排出するスポンジのような働きをしている。ところがライン川とその集水域は、農工業やインフラ整備のためにさまざまな方法で改修されてきた。溝が掘られ、川の1部が運河化され、森林は伐採され、排水パイプが整備され、そして広域がコンクリートやアスファルトで塗り固められたために、川の保水能力は激減した。
 たとえばスイスのバーゼル近くでは、ライン川の氾濫原はかつて約1000平方キロメートルあったが、現在では130平方キロメートルしかない。川の長さは100キロメートル短くなり、ピーク時に平均65時間かけて流れていた水が、30時間という急スピードで流れ下りるようになった。
 ライン川沿いにある他の地域でも同じような開発が行われた結果、大量の水が吸収されず、川に大変な勢いで流れ込んで、大きな被害を引き起こす原因となった。そして川の水位の高低差が非常に大きくなり、それが下流に大きな被害をもたらした。
 オランダでは深刻な洪水が近年も起きている。とくに1993年と1995年の洪水は最悪で、25万人以上の住民が避難し、数十億ドルもの経済的損失を被った。1998年にも豪雨があり被害総額は5億ドルに上った。水と闘う治水対策は、川周辺の森林や植生を破壊し、氾濫原を消失させ、生態系への被害をもたらしたのだ。
 こうした洪水に対して安全保障が求められるようになって、自然の価値に対する評価も高まり、治水対策として生態学的に適合する解決方法を取るほうがよいと、社会的に認知されるようになった。そして1995年にオランダ政府はライン川に関して次のような合意に達した。その内容は、@氾濫原を活性化し、ピーク時の川の水位を低く抑える。A川底の広さを保持し、川の流量を維持する。B自然林や川底を復活させ、川のスピードを緩める。というもの。
 ライン川では現在、集水のためのさまざまな方法−広く積もった粘土層を除去する、古い川の支流に流れを復活させる、川辺の植性を復活させるなど−によって川底が広くなり、さらに大きな河川に典型的に見られるような、多様性を持ったダイナミックな河川システムの構築を目指している。世界自然保護基金(WWF)オランダも、政府機関と協力してライン川の再生に取り組んでいる。いまでは数種類の希少な鳥類が、回復された川沿いの湿地で自然繁殖できるまでになった。現在オランダでは、野生生物の生息地は川沿いの土地のわずか17%だが、これを40%に増やすことを公式の政策目標としている。
 最後に、川の保護活動は上流の国々の働きに負うところが大きく、集水域のすべての国の協力が重要だということをオランダ国民は大変よく理解していることもお話しておきたい。

川の再生は干潟の再生につながる

 オランダの海についても少しお話ししよう。さきほども言ったように、オランダの国土は大半が海より低く、わずかに北海から続く狭い砂浜1帯が守られているのみだ(この中の一部は、もちろん巨大な人工の堤防で守られている)。そして塩水の浸透を中和するために、相当な量の淡水が使われている。かっては堆積物が砂浜にたまることで海岸線を補強できていたにもかかわらず、川の流れを変えてしまった結果、砂浜はどんどん狭くなっている。また、これに気候の変化による海岸線の上昇が予想されるにいたり、海岸線の防衛、維持管理はオランダの最優先事項になっている。
 最近になってようやく、どんな解決法も自然の雄大な特性にうまく対応して行われなければならない、換言すれば、自然に柔軟に、ダイナミックに対応しなければならないということに人々が理解を示し始めた。WWFが提案し開発モデルとして採用しているものは、「自然それ自体が望むように発展するためには、より広い場所が必要だ」という理念に基づいている。これはつまり「海と共に成長しよう」ということだ。この言葉は、私たちは海と対決しようとすべきでない、協調すべきだと強く説いている。
 あるモデル地区では、川の流れが回復して以来、堆積物がたまるようになり、海岸線の前に新しい干潟ができるようになった。干潟は魚にとってはえさ場となり、また良質の飲料水が確保でき、大雨の後には水の貯蔵量が増加するなどさまざまな利点がある。
 また別の地域では…1950年代初めにひどい洪水に襲われて数千人が亡くなり、その結果、塩水と淡水を分ける堰を造って世界最大の洪水防止計画が実施されたのだが、そこでも新しい考え方の一環として幾つかの大きなダムは部分的に開けられ、塩水を招き入れるようになった。おかげで魚が堰の内と外を再び往き来できるようになり、大きな干潟ができて数千の渡り鳥がアフリカへ渡る途中に羽を休めるようになった。

自然の力を利用するほうが経済的

 オランダでは、水管理が、すべての人の同意なしには成り立たない厳しい公共の事柄となって以来、政治的な「干拓地モデル」はしばしば、すべてのレベルに同意を求める大変民主的な「上昇型」アプローチの例として挙げられる。
 近年、オランダの自然に与える影響を軽減できるような大規模な水管理システムが導入された。公害に関する厳しい法律が導入、実施され、公害は急激に減少した。
 オランダでは政府と自然保護運動家が協調し、積極的に行動している雰囲気がある。数十年前からオランダは急速に地域的な農業主導型社会から都市型社会に発展した。作物を育て、人々を養うために1インチ単位で土を必要とした時代は去った。金額的に言えばオランダは今でも世界第2位の農業生産国だが、多くの作物は以前よりも公害の少ない小規模の土地で生産されている。かつて農民たちは自然保護運動家と敵対していたが、現在では、農業と自然管理を同じ省が行い、農業、環境保護、レクリエーションなどすべてを管轄している。また1般の人々は自然問題に対していっそう敏感になり、きれいな空気、質の良い水や土地を求める傾向が強まっている。ここで重要なのは、人々はそのためには喜んでお金を払うということだ。
 オランダという国は水管理にたいへん熱心だと思われるかもしれない。しかし、そうしなければならない理由があるのだ。なぜなら、幾度も言うように、私たちの国の半分は海より低い土地だからだ。オランダはかつて治水対策で間違いを犯したが、いまではより環境にやさしい解決策をとるようになった。それによって、一部の地域で消滅していた数種類の生物を取り戻し、湿地を増やすこともできるだろう。そしてこれを管理するためには自然の方法を取ることになるだろう。
 私たちは、かつて行った無知な方法よりもひどいやり方で自然を扱わないようにと望む。最初の土地にあったものを決して破壊してはいけないのだ。オランダは小さな国なので、いまや何の「野生」も残っていない。そこで私たちはいま、多額の費用をかけてそれを再生しているのだ。私たちは、日本のようにまだ手つかずの自然を残している国々を羨ましく思う。手つかずの川や自然の干潟、自然林…といったすべてをだ。動植物の生息地のために、自然を本来の状態で保存しよう。なぜなら、この方法が一度破壊してしまった自然を再生するよりも安く、簡単で、はるかに良い方法だからだ。あなた方は、母なる自然が行う以上の創造行為をすることは決してできないのだから。
(国際シンポジウムでの講演「干拓地の再生」より)

■ガーナント・マグニン
世界自然保護基金(WWF)インターナショナルにおいて「リビングウォーターズキャンペーン」の中心人物として世界を駆け巡っている。鳥とその生息地である干潟の専門家でもある。

photo by 伊藤孝司





野外会場でシュプレヒコールをするオーエン・ラマーズ氏。
この日は歌手の南こうせつさんも天野の詩に曲をつけた「川よ よみがえれ」を歌ってくれた。

photo by モリ スグル




「川を破壊する世紀」から「川を再生する世紀」へ
インターナショナル・リバーズ・ネットワーク副代表
オーエン・ラマーズ


いまなお世界中で愚行が続けられている


 私たちインターナショナル・リバーズ・ネットワーク(IRA)は、10年近く、長良川を救う闘いをずっと支援してきた。そしてこの闘いを熱意をもって続けている皆さんに再会できたことを誇りに思う。
  長良川河口堰のようなダムと闘う活動を全世界で展開するグループと共に、私は12年間活動してきた。IRAの設立を手伝い始めたとき、世界中のほとんどの人々はダム建設に関する知識を持ちあわせていなかった。すでに世界のほとんど全ての川にダムができ、川のコースが変えられ、改修されているにもかかわらずだ。
  現在世界中に、高さ15メートルを超えるダムが約4万あり、それより小規模のものが50万以上ある。これらのダムプロジェクトによって推定で約6000万人の地域住民が彼らの家を奪われた。ダムはまた計り知れないほどの生態系の破壊をもたらし、多くの国の経済に巨額の負債を押しつけている。だがこのような絶望的な状況下であっても、ダムは今なお造り続けられている。
 現在、地球上で最も社会的、環境的に大きな被害をもたらすであろう基本整備プロジェクトは、中国の揚子江に建設中の三峡ダムだ。600キロメートルの貯水地に通じる水路を造るために、200万の人々が住み慣れた土地から追い出されるだろう。もしダムが決壊すれば、1億人の人々が危険にさらされるだろう。三峡ダムによって何の利益も得られないだろうことは、もはや周知の事実だ。中国で指導的役割を果たしている環境活動家ダイ・チン女史が言うように、三峡ダムは国家権力を象徴する記念碑以外の何物でもない。そして、もし三峡ダムが完成しても、堆砂で長くは持たないだろう。
 
100年以上前にもダム反対運動があった

 河川管理の新しい潮流が世界中に見られる今、ダムと貯水池の数を減らし、自由に流れる川を増やすことが求められている。過去の「川を破壊する世紀」から新しい「川を再生する世紀」へ転換すべきであり、いまこそ「生きている川」の時代に入りつつあるのだ。いくつかの事例を紹介しよう。
  まず始めに、アメリカで起こっていることからお話ししよう。日本が消費電力に関して世界をリードしてきたのと同様、アメリカはダム建設と河川管理戦略を世界中に輸出してきた。そのアメリカでは 100年以上も前に大きなダム建設を止める運動が初めて起こった。
 この闘いは、文筆家であり、アメリカ最大の自然保護団体「シェラ クラブ」の創始者である、ジョン・ミュアーが中心となって行ったものだ。彼は“アメリカの自然保護運動の父”と言われている。1890年〜1913年の20年間以上、彼はカリフォルニア州のヨセミテ国立公園にあるツオルムン川に建設されようとしていた高さ70メートルのオシャーナシィー ダムの工事を止めさせようと闘った。このダムの目的は300キロメートルも先にあるサンフランシスコ市のための貯水だ。水の底に沈もうとしていた渓谷はヘッチ・ヘッチーと呼ばれ、ヨセミテのグランドキャニオンとも言われていた。ここは自然の驚異が生んだ世界有数の景勝地で、高さ1000メートルにも及ぶ透き通った花崗岩の崖から無数の滝が流れ込む光景は、毎年400万人以上の旅行者を集めている。旅行者のうち数千人は日本人で、その多くがロッククライマーだ。ヘッチ・ヘッチー渓谷は有名なヨセミテ渓谷のちょうど北にあたり、「広大な景観はヨセミテ渓谷以上の美しさだ。この美しさは言葉では言い尽くせない」と、1907年にジョン・ミュアーは語っている。しかし残念なことに彼の努力は報われず、1923年にオシャーナシィーダムは完成した。ダムの完成は彼を打ちのめした。そして彼は、健康を損なってまもなく亡くなってしまった。
 しかし、ヘッチ・ヘッチーを守ろうとした彼の闘いは忘れ去られなかった。この闘いはアメリカ全土や、世界中に無数にいる川と環境の活動家にさまざまなことを教え勇気づけた。そして、ヘッチ・ヘッチーが水に沈んでから約75年後の今、これを取り戻そうとする新しい運動が起こっているのだ。シェラ クラブは、ダムが壊され、ジョン・ミュアーが愛してやまなかった渓谷を取り戻せるように、サンフランシスコに電力と水を供給できる、ダムに代わる手段を見つけようと活動している。

経済にも甚大な被害を及ぼすダム建設

 オシャーナシィーダムを撤去しようとする活動は、ひとつの象徴的な活動という以上の意味を持つ。それは、数年来アメリカ全土で起こっている多くの活動のほんの一例に過ぎない。アメリカでは現在100以上のダム撤去運動があり、毎週どこかで新しい活動が始まっている。「川の再生」を目指したこうした新しい動きは、決して自発的に起こったものではないということを理解しておいてほしい。アメリカが川やダムに対する考え方を変え始めるにつれて、こうした活動自体も進化しているのだ。
 実際に、ダムは洪水を悪化させる可能性がある。例えば1918年にカリフォルニア州都のサクラメント近くで起こった洪水の後、州政府は洪水をコントロールするための施設に巨額の投資をし「もう決して洪水は起きない」と断言したのだ。にもかかわらず、その後もたびたび洪水が同じ地域を襲っている。洪水の回数が増える現象はカリフォルニア州に限ったことではなく、1990年代初めからミシシッピ川流域でも起こっている。洪水をコントロールするための設備に投資したにもかかわらず、広範な被害が増え続けているのだ 。
 たとえ設備投資が増えるほど洪水の回数は減ったとしても、いったん洪水が起これば、それによる経済的な被害は増大している。だから洪水をコントロールしようとするよりも、洪水と共生する方がコストがかからない。という見解に4年前に達した結果、アメリカの2つの有名な河川管理団体は「洪水をコントロールするための施設にもう一切投資すべきでない」と結論づけた。アメリカでは、ダム建設は生態系だけでなく、経済にも甚大な被害を及ぼすという考え方が主流になりつつある。
 カリフォルニア州から北へ500キロメートルのワシントン州では、サケの生息数を元に戻すために4つの大きなダムを壊そうという計画がある。コロンビア川水系に生息するサケの量はダムができた60年前から激減した。かつてサケはこの地域の広範な商業漁業を支えていたが、現在ではほとんどいなくなってしまった。ここでも最近、「4つのダムを破壊し漁業を復活させるほうが、ダムで作られる1800メガワットの電力を売るよりも費用効率がいい」という結論に至った。

ダムは安全面でも問題

 ダムについて、もうひとつの心配は、安全性の問題だ。2年前、アメリカ土木工学学会という市民土木工学団体の中心組織がアメリカのダムの安全性を評価した。この評価は1〜5段階で、「1」は壊滅状態を、「5」は優れた状態であることを示している。それによると、驚くことにアメリカ全土のダムに関する評価の平均は「2」という大変低い数字だった。数百万の人々がダムの下流に住みながら、ダムが安全ではないことにまったく気づいていないのだ。
 現在、アメリカで最も大規模な公共ダムを撤去しようとする運動は、コロラド州のグレンキャニオンダムの後方にある貯水池の水を排出しようというものだ。これも安全性の問題が主な理由だ。グレンキャニオンダムは世界で最も有名なダムのひとつで、グランドキャニオン国立公園の外側に位置し、標高180メートルで上流には300キロメートルの貯水池がある。アメリカ政府は最初、このダムをグランドキャニオンに造ろうとしたが、自然保護団体(編集部注:シェラクラブ)が反対。結局、代わりにグレンキャニオンにダムを造ることで自然保護団体もダムに同意した。しかし、彼らは貯水池として水浸しになる地域に1度も行くことなく、同意してしまったのだ。自然保護団体はこんな失敗をしたことを後悔し、いまになって貯水池の水を排出したいと考えているのだ。グレンキャニオンダムは1963年に完成して以来、コロラド川が年間流出する水量の2年分を貯水している。この貯水池が水で満たされた3年後の1983年5月、初めてダムの1部が倒壊した。洪水が原因だった。330億立方メートルの水が他のダムを押し流しながら川にどっと流れ込んだのだ。豪雨があったとき、時を同じくして大量の雪解け水が貯水池に流れ込んだために、ダム管理者が予想していたよりも早く貯水池が満水になった。貯水池の許容量が限界に達しつつあったので、ダム管理者は、ダムの両側にあるトンネルから水を逃がそうか、それともダムの壁の上から水が流れるのを覚悟して放置するかの選択を迫られた。彼らは水をトンネルに逃がすことにしたが、水圧があまりに高かったため、トンネル内のコンクリート壁が決壊。その間にも貯水池は満水になりつあった。ダム管理者は、ダムの壁を少しでも高くしようと1.3メートルから2.5メートルの木の板をダムの上に取りつけた。ようやく増水が止まった時、水はダムの壁の上からわずか30センチメートルのところまで来ていた。もし貯水池の増水がもう数時間続いていたら、水はダムの壁を越え、大規模な洪水が起きていただろう。ダムは水が流れ込むよりも早くすべての水を排出できないのは明らかだ。川の洪水の歴史が物語るように、このような状態は特別なものではなく、いつかまた起こることなのだ。最近も同じような問題が中央アメリカで起きた。いくつかのダムが崩壊する危険があったので下流に住む人々を避難させたという事件だ。
 
世界の潮流はダム撤去へ

 「川は永久的でも、ダムはそうでない」と人々は学び始めている。ダムは結局は壊れていくのだ。ダムを安全に撤去し川の流域を修復するのか、それとも多くの命が奪われ甚大な被害が起きる可能性があっても自然にダムが決壊するのを待つのか、私たちは選択を迫られている。ダムを撤去しようという声は全世界に広がっている。1997年に中国を訪問したアメリカの技術者団体に三峡ダム計画局の責任者が語ったところによれば、中国にダムを造ろうとする際に最も大きな障害となるのは、アメリカですでにダムが撤去されているという事実だという。そのとおり、この事実は今後ダムを正当化することをますます困難にするだろう。世界のダム建設のスピードは明らかに遅くなってきている。世界的規模のダム反対運動があるからだ。もしダムが造られたとしても、反対運動によって、同じ地域にもう一つのダムを造ることはいっそう難しくなるだろう。付け加えるなら、たとえダムが完成しても多くのダムファイターたちは闘い続けるに違いない。

 (国際シンポジウムでの講演「21世紀にグレンキャニオンダムのゲートがあげられる」より)

■オーエン・ラマーズ
インターナショナル・リバーズ・ネットワーク(IRA)副代表。IRAの組織は90カ国にまたがり、参加団体は4000を越える。まさしく世界一のダムファイターと呼べる組織のリーダー的存在。

photo by 伊藤孝司


※ガーナント・マグニン氏とオーエン・ラマーズ氏の記事は、1999年10月16日に三重県長島町中央公民館で開催した国際シンポジウム「公共事業、世界の潮流・日本の逆行」での講演内容をまとめたものです。




ニュージーランドから来たアラン・ヨルドン氏。
他にドイツからはカール・アレクサンダー・ジンク氏が駆けつけてくれた。

photo by 伊藤孝司



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