VOL31-1

村瀬さん、ありがとう。  
  長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子

1988年2月に桑名の赤須賀漁協が長良川河口堰の着工に同意し、
建設が始まることがニュースで配信されると私は、
週刊現代で「長良川が危ない」というカラーグラビア8ページをつくり、反対を表明した。

6月に「長良川河口堰建設に反対する会」をつくり、
8月にモンゴルから帰国した、わが師・開高健に会長就任を要請した。
「高度成長期以降、先生が日本の川での釣りをやめられたのは、
自分一人のペンではこのおろかな国の山河は救えないと、逃げたのではありませんか。
長良川が“最後の川”とお知らせしても、先生はまだ逃げ続けられるのでしょうか」。

「(背)負おうた子に教えられる、やな。いつのまにか大きなってた子に今日は説教されました。わかりました、ひきうけます。しかし、相手は“金丸サン”やで、わかってるか」。
これが開高さんの返事だった。長良川河口堰事業が、田中角栄総理、金丸建設大臣の認可事業であることを、師はすでに知っておられたのだ。

村瀬惣一さんが、“金丸サン”に私が対抗する論理を教えてくださった。
1300年の鵜飼の歴史があるため戦前は「天皇様の川」としてダム計画がなかった長良川に、
昭和34年に河口堰計画が作られた時、流域に川漁師の多い長良川では
「治水」を持ち出さなければ、「利水」だけで納得は得られないと建設省(現・国土交通省)河川局は考えた(村瀬さんが持っていた河川局の内部資料にそう書いてあった)。
そして「治水」をかませ“多目的ダム”にすると、費用の三割を国の負担とすることもできる。

今では田中康夫さんの「脱ダム宣言」に書かれたことによって日本中の人が知ることになったこのダム建設費のからくりは、
村瀬惣一さんによって長良川河口堰問題で明解に分析されたものであった。
村瀬さんはこれを「身代わり建設費」と表現し、このしくみそのものを「官製治水論の虚構」とも表現された。

私は、そのすべての議論を一つ一つ村瀬さんから教えられて、国会へ持ち込んだ。
海部総理を説得するために、彼の所属していた三木派の三木睦子氏の胸に飛び込み、
三木さんの弟子の北川石松環境庁長官の紹介もしていただいた。

もし、村瀬さんの「これは官僚機構との戦いなんだ」という言葉に、
村瀬さんの所属されていた『社民連』の国会議員・田英夫さんが動いてくださっていなければ、
田さんや三木派の元環境庁長官鯨岡兵輔さんをも含めた超党派の「長良川河口堰問題を語る国会議員の会」も生まれず、
199名の国会議員の河口堰反対署名も集まっていなかっただろう。

村瀬さんから一番よく聞かされたのは、「パーキンソンの法則」という言葉。
パーキンソンという人が唱えた説に、「官僚は、その官僚機構を維持するために仕事を作り続ける」があり、
それが日本の政治システムとなっていることの悪を、村瀬さんは問うていたのだ。

菅直人さんは、元は『社民連』に所属されていた。その菅さんが、民主党の幹事長として
長良川河口堰問題に取り組んで下さることを表明して下さった時が、
下の村瀬さんと菅さんが写っている写真の日だ。

長良川河口堰反対に民主党が取り組むことを
幹事長として約束してくださった時の菅直人さんと
天野礼子、村瀬惣一、成田正人
普段なら「記念写真なんて、俺は遠慮しておくよ」とおっしゃるだろう村瀬さんが、
成田正人さんの誘いに乗ってはにかみながらもフレームに入られたのは、
『社民連』で育ててきた後輩の菅さんが野党第一党の幹事長にまでなったという感慨と、
自分が官僚制度との天王山と位置づけた“長良川”に、その後輩が動いてくれる嬉しさだっただろう。

菅さんは、村瀬さんの願いのとおりに、法政大学の五十嵐敬喜教授や私の提言を受けて、
「河川法対抗法案」や「公共事業コントロール法案」を、代表となった後には出していってくれる。

民主党が2000年に「“緑のダム”構想」(天野も所属した鳩山代表の諮問機関「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」が作成)を作れ、
今では「緑のダム」が川のNGOの武器となっているのも、村瀬さんの精緻な理論が底辺に存在していたからだ。
村瀬さんは時々、こんな言葉を発せられる時があった。
「うん、私の娘は君と同じ年なんだ」と。私を娘のように思っているよとおっしゃっていて下さったのだろう。

私が生前の村瀬さんに唯一できた“親孝行”は、河口堰のゲートが降ろされても、運動を続けたことだったろう。
「私は続けますよ」と村瀬さんに言った時、「ありがとう天野君」と私の瞳を見つめ、手を強く強く握って下さったことが忘れられない。

「河口堰のゲートを上げる」。“最後の親孝行”を私ができるまで、村瀬さんのガンは待ってくれなかった。
しかし村瀬さんがおっしゃったこういう言葉もある。
「私たちに撃たれ、膝を負ってしまったマンモス(河川局)は、もう二度と立ち上がれないのだよ」。
運用から10年で、私たちの正しさが証明された。

私たちが河口堰を開放し、長良川を救える日まで、今度は天国からの叱咤激励を村瀬さんは続けて下さるだろう。
村瀬さん、ありがとう。そして、安らかにおやすみ下さい。
 「長良川河口堰建設に反対する会」を代表して。

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