VOL.19-2


利根川河口堰の流域水環境に
与える影響調査まとまる
日本自然保護協会保護部長 吉田正人

 日本自然保護協会は、平成九年度環境庁水質保全局より委託を受け、「利根川河口堰の流域水環境に与える影響調査」を実施した。
 この調査は、利根川河口堰が利根川下流部の環境にどのような影響を与えたのかを調査・分析することによって、長良川河口堰を含む河口堰建設事業が河川環境に与える影響についての科学的な共通認識をつくることを目的にしている。そのため、西條八束氏を委員長とする利根川河口堰モニタリング調査検討委員会を設置し、既存資料や現地調査に基づく科学的知見を整理するとともに、河口堰事業の環境アセスメントやモニタリング調査に対する提言も行った。
 利根川河口堰は、一九七一年に建設された長良川河口堰と同じ形式の可動堰である。一九六四年の東京オリンピックの年に大渇水となったのを機に、東京都が主な水源を多摩川から利根川に変更して以来、上流のダム群、中流の利根大堰(取水堰)、下流の河口堰と、次々と利根川の水資源開発が行われてきた。下流住民には、利根川河口堰の建設目的は塩害防止である、と説明されてきたが、建設費の大半を東京都が負担していることからも、都市用水を中心とした水資源開発が主目的であることは疑う余地もない。
 竣工の年の夏に早くもヤマトシジミの大量弊死がおこったことは新聞でも大きく報じられよく知られている。しかし、今回の調査で利根川河口堰が、長期間にわたり、じわじわと利根川下流の生態系をむしばんできた様子がよくわかった。
 まず河口堰建設やその前後の浚渫による影響は、河口堰が竣工したときにすでに現れている。たとえば湿性のアシ原は、戦後まもなくは堰上流部に広く分布していたが、堰建設に先立つ浚渫と客土で半分以下の面積に減少している。さらに堰建設後には、堰上流部を拡張する浚渫と護岸工事が行われ、河川敷から河川へのつながりが分断されている。
 次に、堰運用直後の影響だが、堰運用のため上流部が淡水となり、汽水環境を好むシオクグが下流部だけに分布が限定されてしまった。魚類についても、堰建設の影響がはっきり出ており、建設前に堰上下流に生息していた66種のうち、21%が姿を消し、28%が上流または下流に分布が限定され、新たに姿を見せたのはオオクチバス(ブラックバス)・ブルーギルなどの移入魚であった。底生生物については、堰直後にヤマトシジミの大量死がみられたが、その後上流に塩分を残す堰運用が行われたため数年間はかえって増加する現象がみられた。しかし、一九八〇年にシジミ漁業権消滅補償が行われてからは堰運用がきびしくなり、シジミは上流では全滅、下流でも激減している。なおシジミに関しては、ヤマトシジミが消滅する少し前にマシジミが混じるようになったことが漁民からの聞き取りでわかっている。
 さらに、鳥類など生態ピラミッドの上位に位置する生物には、もう少し遅れて影響が現れている。一九八三年には、上流部の潜水採餌ガモ(キンクロハジロなど)が激減、下流部の干潟で採餌するツルシギが激減しその後姿を消している。これは、上流部におけるヤマトシジミの消滅、下流部の干潟の底質の悪化によるゴカイの減少などが原因となっていると推測される。
 最後に一九八0年代後半になると、公表されている水質調査結果からも水質の悪化が著しくなっていることが明らかであり、冬季渇水時には上流から河口堰に近づくにつれBOD、CODともに増加する様子が見られている。また水資源開発公団の調査データでは、一九八六年には上流部で100マイクログラム/lというクロロフィルa量が観測され、一九九六年には200マイクログラム/l近くになっている。一九九七年九月の現地調査では、堰を閉めた直後から溶存酸素(DO)が減少をはじめ、明け方には堰下流の底層で3mg/lという低い値が観測された。堰下流部では、塩水楔の先端で発生した貧酸素水塊が、塩水と淡水の境にそって下流部に拡大して行く様子が一九九六年・一九九七年と続けて観測されている。
 また、河口堰により水の流れが停滞することによって堆積した泥の厚さを、ソナーを使って調査した結果、上流部に最大60cm、下流部に30cmほどの軟泥が堆積しており、堆積物の粒子の大きさは堰周辺に近づくにつれ小さくなり、有機物の含有量は堰に近づくほど大きくなっていることがわかった。堆積物に含まれる藻類の遺骸が、上下流とも淡水性のものであることから、軟泥の起源は上流に発生した浮遊藻類であり、堰を操作してフラッシュしたものが、潮汐や鉛直循環流によって下流にも堆積したものであることが明らかとなった。長良川河口堰で問題となっている、堰上流の湖沼化と堰下流の堆積現象は、可動堰に共通した影響といえそうだ。
 このように河口堰が水環境に与えた影響を時系列に並べると、堰操作の変化が大きな影響を与えていることがわかる。堰が完成した一九七一年、シジミ漁業権が消滅した一九八〇年、東京都が水利権ぎりぎりまで取水するようになった一九八七年を境に、利根川の水環境は一段一段と悪化の度合いを深めている。平成になってから水利用の状況がますます厳しいものとなり、冬でも渇水となり河口堰が十一月から四月ごろまでほとんど閉鎖状態にある。たまたま一九九七年は豊水年であったが、通常の年は冬に赤潮がみられる状態となっている。
 利根川河口堰建設によって、水質・底質、植物、底生生物、魚類、鳥類などさまざまな影響が現れているが、生態ピラミッドの上位に行くに従って、時間をかけてじわじわと影響が出ている。またその影響の現れかたは、堰の運用と深く関わっている。利根川河口堰の場合、水公団は堰建設時に、堰操作日は一年の半分と説明していたが、一九九六年には一年のうち三五0日が操作日となっており、当初の予想とは大きくかけはなれている。
 現在、建設省内で環境影響評価法を実施に移すための技術指針が検討されているが、アセスメントの調査項目、調査手法を検討する上では、堰の運用方法に関わる前提条件が崩れれば、影響予測は成り立たないということを念頭に置くべきである。また、建設省の長良川河口堰の調査は五年計画だそうだが、長期的な影響は堰建設後二六年後にも現れているということを念頭に置いて、モニタリング調査を行うべきである。
 調査の中で、利根川下流漁協への聞き取りを行ったが、漁民の一人が言った「現在の利根川は河川であって河川でない状態になっている。河川の環境になるように水を流してもらいたい」という言葉が忘れられない。全国の河口堰の影響が明らかになるにつれ、この言葉が重く感じられる。


| Page ・2・ | ネットワーク INDEX | HOME |