VOL.26-2
「市民の憲法」をつくろう
法政大学法学部教授 五十嵐 敬喜
市民は政権与党
公共事業に付き合ってからほぼ十年になる。この間、たくさんの現場を見た。また多くの反対する人々にあって話を聞いた。そして私は私なりにそれらを踏まえて、意見を発表してきた。その結果それら全体の運動によって、今や、公共事業はかってのすべて善という観念から、なにやら無駄で胡散臭いものというように変わってきた。公共事業というおなじ言葉がまったく正反対の意味になってしまったのである。言葉の変革は事実にも変革をもたらす(事実の変革が言葉の変革をもたらした)。長らく一度計画されたら絶対に止まらないと信じられてきた「公共事業不倒神話」は崩壊した。今やダムだけでなく全国各地で多くの事業が中止されるようになった。小泉内閣では、ほんの2年くらい前までは考えもつかなかったような、量的削減、道路公団民営化、中長期計画の見直しなどといった公共事業の根幹に関わるシステムが「聖域なき構造改革」の重要な柱として取り組まれるようになっている。小渕内閣や森内閣の頃、思い出してみよう。
公共事業は不況に対する最大の特効薬とされ、大判振る舞いされた。その政策に異議を申し立てることは、自民党などの政権与党内では勿論、マスコミや学界でもタブーであり、野党は反対のポーズは一応とるにしても、本気で政策を変更させるなどと考える人はほんの一握りの人だけであった。
運動を担う少数だが精鋭な市民だけが真剣であった。そして小泉内閣より早くそれらの政策を打ち出した。こちらから言えば、小泉内閣は私たちの政策をパクったのである。政策だけを見れば市民は今や政権与党になったのである。
宿題
それでは長良川のゲートは開くのであろうか。これがなかなか開かない。河川局長が悪いからだという人もいる。亀井さんは乗り気なのだが地元野党の議員が反対しているからだという声も聞こえる。議員だけではない。地元の知事や首長あるいは議会そして市民も今のままでよいと考えているか、そうではなくてあきらめているのだという説もある。それぞれうなずけないこともないが、しかし私は、これはなるべく早く開放し、いずれゲートは撤去すべきだと思う。
問題は、ではどうしたら開けられるかということである。周知のようにこの運動は考えられるすべての手段をとってきた。陳情、請願、裁判、マスコミ対策、国際シンポジウムなど。にもかかわらず、開かないとすれば、ほかの何かの方法を考えなければならない。それは何なのだろうか、というのがここしばらくの私の宿題だったのである。
美ということ
国土交通省はゲートを開けないのだろうか。ゲートは彼らが喧伝してきたほど利水や治水に役立たない、ということはうすうす気がつき始めている。面子。あるいはここで開けるとドミノのように他の公共事業に拡大されていくという不安。責任をとらないというシステム。あるいはそれこそ鈴木宗男のような外部からの圧力などもあるのかもしれない。それらが重なって開けないのであろう。いずれにしても、この様な論理や感性に、ひとつだけ決定的に欠けていることがあった。それは、彼らが、貴方は何のために生きているのか、恥じなく生きているか、という問いに答えられないということである。ここでは国会での答弁や陳情に行ったときによく見られるような、木端役人の嘘や軽薄あるいは逃げ回るような回答を言っているのではない。そうではなくて、もし貴方が今不治の病に冒されたと宣告されたら、なんと答えるかという真剣で重い、回答を想定しているのである。そのような事態になれば、ゲートに固執する官僚を含めて、殆どの国民はやはりそれは開けるべきだと言う、と私は信じているのである。ガンに侵された患者にとって、利権や地位はもう関係ない。痛みが除去されること、自分がいなくなっても家族や友人が元気に暮らしていけること、そして何よりも、死の世界に対する不安や恐怖が和らげられることが肝心であり、それ以外の建前や虚偽はいらなくなる。私たちは真実、安心して死んでいけることを切に望んでいる。これを死の方向からでなく、生き方の方からみると、もっとも切実なことは金でも地位でも名誉でもなく[美]しく生きるということではないか。この価値が共有されれば、事態は動き出す。私の頭から[美]が離れられなくなった。こうしてできたのが近著の「美しい都市を創る権利」(学芸出版社。2002年3月)である。
市民の憲法
「美」はさまざまに定義が可能である。またそれへのアプローチも各人各様であろう。私はこれにたいして都市、創る、そして権利というキーワードでアクセスした。中でももっとも大切なことは、美を憲法上の権利とするということである。アメリカやヨーロッパでは、もうダムは作らない。今あるものは撤去しようとしている。ダムだけでなく高速道路も原発も皆、問題だと感じ始めている。そしてこの問題意識は共有され、それが政府の政策に反映され始めた。日本でも、この問題だという意見は権利として認められなければならず、しかもそれはこれまでのように単に、言論の自由に対する侵害だという消極的な形(国家からの自由)ではなく、皆で美しい都市を創るために必要だ(国家の修正)という「創造法」として作られなければならない。
憲法にそのような権利が書かれれば、日本は生まれ変わる。ダムは物理的に美しくない。またそれを必要だという人の心が貧困だということが確認される。やむなく立場上ダム賛成だと言わなければならなかった人たちも「美」のほうがよいという権利が保障される。
私はひとつの突破口をつかんだと思った。
そしてこの様な目で現在の日本の憲法を見てみると、美だけでなく、考えなければならないことが山ほどあるということに気がついた。行政や議会に任せるだけでなく、主権者である国民の意見を実現するためにもっと住民投票などの直接民主主義を導入したらどうか。大統領制は悪いのだろうか。伝統や文化、などというものも、これまで保守的だとして避けられてきたが生きていくうえでのプライドとしても正面から取り上げられてよいなどと思った。そのような意味で私は現在の憲法の一字一句を決して修正してはならないという護憲論者ではない。
ところがこの様な想いとはまったく正反対の改憲論の動きが強まった。市民も本気で憲法を考えなければ、ダムのゲートは開けられないという事態が客観的にも迫ってきたのである。
例のニューヨークでのテロ事件から始まった政府の有事立法の制定などは、美を破壊し、平和を定めた九条はなし崩しにし、いつしかまたもとの軍国主義に向かっていこうとしている。重要なことは、国会議員の間だけでなく、国民の間でも、この軍国主義を支持するような声、すなわち改憲論がどんどん広がっていっているということである。官僚あるいは政や財もここに立てこもるかもしれない。
美しい都市を創る権利は、これら軍国主義的な改憲論と闘わなければ、創ることができない。さらにこのたった一つの条文すら、九条や、基本的人権や統治機構などの改正と一体としてでなければ実現できない。留学から帰った2000年秋以来、私はやむなくこちらの方まで手を広げなければならなくなった。私は大学院の人たちと一緒に憲法の勉強を始めた。その一端が本年5月、早川書房より「市民の憲法」として刊行される。これを「論憲論」と名づけた。私たちの主張は、ただひとつ。市民も憲法をつくる権利があり、権力者が作る憲法改正案と一緒に、そのどちらがよいか、国民投票にかけろというものだ。
不治の病を治すにはそれなりの覚悟が必要である。しかも特効薬は外から与えられるのではなく、自分たちで探し、検証しなければならない。私たち大人には、昔、ダムなどという不思議な廃棄物を造った時代があった。でもそれはほんの一時期であった、と子供たちに伝える義務がある。
その義務感が21世紀市民の憲法を作るエネルギーとなっていくのである。