VOL.28-2

「市民事業」と市民の出番
 法政大学法学部教授 五十嵐 敬喜

あまり威張れたことではないが、ここ数年、弁護士の仕事としてではなく、私がごく親しくしてきた友人、知人の間にも、倒産、離婚などという話が飛び交うようになった。
今から40年前、中国からの最後の帰還者として、日本人の父、中国人の母と一緒に帰国したK君は、日本語の勉強をしながらペンキ職人としてよく働き、ようやく大勢の職人を雇用する会社社長となった。しかし、元請け会社が倒産し、その連帯保証をしていたK君は莫大な借金を背負い死ぬほど働いてきたがついに力尽きた。自宅は競売、夫婦は離婚。そして子供は学校中退。
またA君はある大手の住宅会社で働いていたが、バブル崩壊によりこの会社は倒産。A君は退職し自分で不動産の会社をこしらえた。しかし新しい会社もまもなく不渡り手形に見舞われる。新進気鋭のデザイナーであった娘さんが父の面倒を見なければならない。しかしデザインのギャラはあまりにも安くどうしたらよいか途方にくれている。
こんな話はもちろん私の周りだけでなく全国に溢れ、耐えられずに自殺する人もたくさん出てきている。みんな必死で働きながらばらばらになる。何かがおかしい、理不尽だ。国、自治体、政治、学者、偉い人、マスコミ、隣近所、親戚、親、子供、未来、みな信じられなくなっている。
私はここ10年あまり全国の公共事業の現場を歩いてきた。ダム、高速道路、飛行場、産廃処分場などなど。この間、あまりにも無力であった私たちも、反対のキャンペーンだけでなく代替案を提示できるようになり、難攻不落と思われていた当局を追い詰め、いくつかの事業の中止といった成果を挙げることができるようになった。長良川や諫早湾でゲートを閉めれたあのころを思い出すとまるで夢のような進展である。しかし同時に事業の中止などによって地域経済が冷え込み、それがペンキ屋や不動産屋さんの倒産の遠因となっている。

仕事をつくる元気な市民があらわれた
しかしこんなことを見たり聞いたりしているうちに、これまでとはまったく違う市民に会うことも多くなった。建築家、元ゼネコンの社員。主婦。地方議員。職業も経歴も年齢もさまざまだが、彼らは生き生きとしていた。彼らは何もかも信じられなくなった人とまったく正反対に仕事にプライドを持ち未来を語ることができる。コンクリートで固められた堤防を元に戻す。充分な介護を受けられない老人を幼児と一緒に世話する。商店街の再生、生ごみの処理、風力発電など、何かこれまでにない仕事を実際に行っている。   
彼らはまず倒産などにくじけていない。公共事業の招聘と末端作業の分配による行政の保護の対象でも、参加やパートナーなどという美名のもとにいつしか行政の下請けとして無償で走り回る便利屋さんでもない。彼らはまず自分自身が食べるために仕事する。しかしそれだけでなく市民全体の利益に向けて仕事をしている。当初私はこれらの人のことを活字や映像で見ていた。また正直言うと、志は立派だがはたして仕事として成り立つのかどうか危ぶんでいた。しかしこれらの人々と会い、話をし、仕事場を見せてもらっているうちに、彼らが、利益を上げ、雇用を行い、その仕事が地域経済の向上にも役立っていることがわかった。

「緑の公共事業」も始まった
長野県で《脱ダム》のお手伝いをしていた頃である。田中知事から「きこり講座」の話を聞いた。土木・建設業からリストラされた人を対象に、長野県が「植林」の教育を始めたところ、多くの人が押しかけてきて熱心に勉強するようになったというのである。まもなく和歌山県の木村知事がこれをヒントに「緑の雇用事業」を提唱し、全国の知事だけでなく小泉総理大臣も賛同するようになり、これは新しい事業、中山間の定住促進、大都会からのUターンの受け皿として役立つようになった。
従来の公共事業に代わって新しい公共事業が生まれ、行政も市民もそれを欲し、発展させたいと思っている。ひょっとしたらK君もA君も、このような仕事ができるようになれば死なないですむ。奥さんも子供さんももう一度彼らを応援するかもしれない。これが私の「市民事業」のきっかけとなった。

自治体と"市民の出番"
自治体は財政危機の中、もう旧来型の公共事業を行う余裕はない。しかし補助金などのお金はたくさんある。ひも付きで自由に使えないだけなのである。環境、福祉、教育から地場産業の保護育成、地域の伝統文化の復活、さらには人と物の世界的な交流などやらなければない仕事も山ほどある。しかし今までの縦割り行政ではこれらの仕事はできない。
一方、市民は知恵を持っている。しかし資金がない。意欲や資金はあっても技術や知識がない。市民事業は、双方のプラスとマイナスをまずドッキングさせることである。「きこり講座」などのほか、市民に対する教育資金の貸付けのための自治体銀行の設立、自治体の持っている大学、病院、さまざまな教育や仕事場の紹介と斡旋、市民のアイデアや知識、新事業の提案と受付などは、やろうと思えばすぐできる。
もうひとつ重要なことは、これら市民事業の遂行にとって障害となっている法律や既得権益を改革していくことである。たとえばゴミはいつでも無料(税金)で自治体が収集し、燃やし、埋め立てなければならないものなのであろうか。そもそも自治体職員は定年まで首切りもなしに8時間労働するということでよいのか。昼の公務員、夜の公務員。市民の雇用などワークシェアリングがあってもよいのではないか。電力などエネルギーはいつまでも原発に頼っていないで、風、波からつくり、これを自由に売買できるようにしたらどうか。農業はなぜ市民が行ってはいけないのか。地元産の間伐材を使うために建築基準法などの規制は緩和すべきではないか。構造特区、あるいは条例など活用すべき手段はないのか。この分野は、国や議会を巻き込む「戦い」である。
公共事業の中止から市民事業の興隆へ。不安の拡大と未来への希望が同時発信している。《市民の出番》が見える時代となったのである。



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