VOL.28-4

《長良川》の15年が成し遂げたこと
島根大学 保母 武彦

明治以来、政府が取り仕切ってきた公共事業は今、環境保全と住民参加による新しい公共事業へと転換しつつある。この転換点は、昭和63(1988)年であった。
この年、二つの《事件》があった。
一つは、中海・宍道湖淡水化事業の凍結である。巨大国策プロジェクトが住民運動によって、環境保全の目的で凍結されたのは、これが最初である。「いったん始まったら止まらない」と言われた公共事業が、ここに変化し始めたのである。
もう一つは、天野礼子さんたちの「長良川河口堰建設に反対する会」が立ち上がったことである。この長良川河口堰反対運動は、その後、国内外にネットワークを広げ、長良川という一本の川を守るにとどまらず、日本の川のあり方を問い直す運動となった。私は、岐阜県の出身であることから、わずかの期間ではあったが、少しお手伝いをさせていただいた。その間に私が垣間見たものは、この運動とそのリーダー・天野さんに対する、建設省(当時)の異常なまでの対抗意識であった。
建設省の選択肢は三つ、建設を強行突破するか、全面撤退するか、それとも建設して体面を保ちつつ河川制度の不合理を是正するか、であった。建設省にとって状況が次第に不利になるに及んで、「長良川の河口堰だけは建設させてくれ。これを最後とするから……」といった発言が、水面下で聞こえるようになってきた。1995年7月に天野さんがハンストで倒れると、河口堰のゲートは降ろされたが、建設省は、徐々に制度と政策を変化させ始めた。河川審議会は、1995年から、河川環境のあり方や、河川整備の基本的方向について答申を出し、「社会経済の変化を踏まえた今後の河川制度のあり方について」(1996年6月)を提言した。これを受けて、1997年、改正河川法が制定され、河川管理の目的に「河川環境の整備と保全」を加え、住民の意見反映にも道が開かれた。
この改革の流れは、2000年夏、政府与党の公共事業見直し勧告以降、長野県など自治体レベルで加速している。これらは、《長良川》15年の大きな成果と言ってよい。
しかし、その一方で警戒すべきは、「公共事業の見直し」という文言は同じでも、都市再生事業の財源捻出のために農村の公共事業を見直すだけの発想や、旧態依然とした発想の役人と結んで「公共事業の見直し」の歪曲を狙う新手のNGOの動きである。そこに共通するのは、《長良川》15年の実績、成果、到達点の否定である。《長良川》の15年の評価は、今後の公共事業のあり方を左右する試金石となっているのである。
中海では、農水省と島根県が淡水化水門を撤去する方針を出し、県知事は中海・宍道湖のラムサール条約登録湿地化を目指すと発表した。そういう時代になったのである。《長良川》の目標も、もう一歩のところにある。期待している。


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