VOL.28-5

編集後記
  「長良川河口堰建設に反対する会・岐阜」代表 高木久司

1988年2月に、桑名の赤須賀漁協が長良川河口堰の着工に合意し、6月に天野礼子が「長良川河口堰建設に反対する会」を立ち上げた。7月の着工式当日に、朝日新聞岐阜版に「長良川河口堰の建設に反対します」との意見広告が出た朝、私は参加を決意しました。
8月になると、開高健が「反対する会」の会長に就任し、私たちは「反対する会・岐阜」を作りました。
以来15年。我家の離れは「反対する会」の事務局となってきました。
その15年間、長良川河口堰反対運動は、全国版になり、他の川のダム反対運動のモデルとなり、1997年には「河川法」も改正させました。とうとう野党第一党のマニュフェストにダム建設中止も入れさせました。
しかし、長良川を救うことはまだ出来ていません。私は決して長良川を救うことをあきらめません。長良川は日本を代表する"母なる川"だからです。
建設が終って、ゲートを降ろされていても運動が続けられてきたのも、私達の強い決意のあらわれなのです。
ところが15年目に私たちは、《長良川DAY》を実行できませんでした。
この数年、経営者としての仕事に専念していた私の足元で、運動に混迷をもたらす言動があり、通訳によってダニエル・ビアード氏の日程が勝手にキャンセルされて、9月6日にむけて準備していた《DAY》の計画がつぶれたのです。
これらを私たちへの天が与えた試練と考え、「反対する会・岐阜」は再結集しました。
初仕事がこのネットワークの発行です。私達はもう一度、「小異を抱えたままで、大同団結をする」という初心に帰ります。
御心配をかけた他団体の皆様へのおわびも含めて、あらためて御支援をお願い致します。

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