VOL.29-2

「すくえ長良川」
長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子

あんなにウソを重ねて、そして国会議員には「長良川を最後にしますから、これだけは造らせて下さい」などとそこでもウソをいい完成させた長良川河口堰。ゲートが閉じられて今年の七月六日で九年となりますが、「被害は軽微」どころか「甚大すぎる」のに、この水を使っている自治体がひとつもないことは、今回の伊藤、大森氏の原稿でわかっていただけるでしょう。
 運用で証明できたことは「建設のための建設に過ぎなかった」ことだけ。そして長良川は死んだ。というのはあまりにも無責任で、無惨すぎませんか、河川局さん。
写真 伊藤孝司

 そしてあなた方は、片方の手で川辺川ダムの強制着工を目指しながら、もう一方の手で「自然再生」を謳い、予算の減額を阻止し、自分たちが公共事業をばらまくシステムをどこまでも保持したいとたくらむ。
 そのために新河川法に盛られた「住民対話」という言葉が利用されて、NGOやNPOの取り込みのための仕掛けが様々に用意されている。国会議員に向けても、河川局から資金援助を受ける環境財団が巧妙なワナを仕掛けている。
 各地で良心的学者が中に食い込みがんばって下さっている流域委員会は、少数のそれらの研究者をますます忙しくさせていますが、せっかく「ダム中止」と出ても、それを諮問した河川局が結果を無視するのですからお話になりません。
 近年私たちNGOや研究者が欧米を見て、彼の国と我が国の違いを最も感じるのは、官僚が「謝る」という彼の国の態度です。これこそが科学。「正し」つつ「使う」ものなのです。
 百年前には「治水によい」と考えられた川の直線化やダムが、治水には良くなかったことがわかり、欧米の官僚は「謝った」のです。
 私たちは、1995年以来、河川局に「百年の計を見直す委員会」を中央で行うことを提案しています。全野党が賛同し、あの"亀ちゃん"が三度も河川局を説得してくれましたが、いまだ実現しません。彼らは間違いを認める気がないからです。
 近代百年の反省がされないままに「自然再生」などというキーワードを使い始めるから、一番手厳しいNGOを排除することが必要となる。話せばわかる「小異」を言い立ててNGOが分裂することを五十嵐さんはいつも怒っていますが、敵の団結に比べて、あまりにも情けないからでしょう。私たちは心すべきです。
 ようやく。「日米ダム撤去委員会・第一回国際会議」を三月二七日に松本で準備することができつつあります。「団結」のために歯を食いしばってがんばった方々を誇りに思っています。
 今年は、河口堰が運用されて九年。「十年を期にゲートを上げろ。そのためにこの一年間はゲートをあげて調査しろ」と"政治"にいわせるために、6月には現地シンポジウムも準備しています。

「すくえ長良川」。あなたももう一度つぶやいてみてくれませんか。


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