VOL.29-4
長良川河口堰住民訴訟・愛知の結末 伊藤達也(金城学院大学教授、(元)長良川河口堰住民訴訟・愛知原告団代表)
工業用水道事業は独立採算制を原則としていることから、それにかかる費用は工業用水道料金の徴収で賄われなければならない。しかし、長良川河口堰開発水(工業用水)では需要が全く発生していないことから、受水団体の愛知県、三重県とも、県の一般会計からの支出によって堰建設負担金が支払われている(愛知県500億円、三重県355億円)。
私たちは、愛知県、三重県がこのような形で長良川河口堰の建設負担金を支払うことは違法であるとして、1998年9月、99年2月、それぞれ名古屋地裁、津地裁に提訴した。使ってもおらず、使うあてもない水に対して、しかも一般会計から支出することが許されるはずがない。そう考えて起こした裁判であったが、愛知の裁判は2003年3月、最高裁で原告の訴えが棄却されたことにより終了してしまった。三重の裁判は最高裁から地裁に差し戻され、現在、名古屋高裁で争われているが、正直言って苦戦中である。
私が原告として関わった愛知の裁判を見ると、そこには無視することのできない裁判所の怠慢が存在する。審理が実際に行われた地裁、高裁の判決において、裁判所は水需要予測の妥当性の判断を判決の根拠に採用した。この手続きは正しい。しかし、水需要予測の妥当性を判断する際に、原告、被告への意見聴取、議論の場を全く設けず、裁判に先立って提出された住民監査請求監査結果書を判断材料として多用した。そして判決の論理に「水需要予測の下方修正、拡大、双方の可能性」を採用することによって、原告の主張を退けた。これら裁判の進行手続き、判決の判断材料、判決の論理は著しく正当性を欠く。
判決文が全面的に依存した監査結果書には、誰が見ても明らかなデータの誤り(転記ミス)があり、かつ、裁判で被告愛知県でさえ主張しなかった内容を根拠にした県擁護の記述があった。その内容は上位規定である国の計画から逸脱したもので、本来、判決の根拠になり得ないものである。にも拘らず、判決文がそれを採用したという事実は、裁判所が原告どころか、被告の提出資料さえまともに見ずに、被告の主張を超えた被告擁護の姿勢で裁判にのぞんでいたことを示している。
さらに判決で使用された「将来の水需要の見込みは下方修正、拡大、双方の可能性を持つので、水需要の見込みがないとする原告の主張は認められない」という論理は、以下のような狡猾さを含んでいた。この裁判で愛知県側の根拠として唯一明確だったのは、2010年の長良川河口堰工業用水需要が毎秒0.2m3発生するという主張である。原告側は県計画が過大需要予測であるかどうかを議論させて欲しいと裁判所に申請したが、拒否された。なぜか。裁判所は、実は議論をせず、証拠調べをしないことによって、根拠の乏しい被告側の立場を何とかして支え切り、しかも後になって現実の水需要動向がどちらに流れようと判決が批判を受けなくてすむ、つまり「判決の時点では予測できなかった」という言い訳を可能にするための唯一の抜け道を、この論理の中に見出したからである。
このように裁判所には問題を真摯に捉え、客観的に議論する姿勢が完全に欠けていた。4年半の裁判を通して見えたのは、行政に媚を売り、行政にすり寄ることでしか判決文を書くことのできない裁判官の姿であった。
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